青森ねぶた祭
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ねぶた全般(青森市の青森ねぶた以外を含む)については「ねぶた」をご覧ください。

青森ねぶた祭
Aomori Nebuta Festival
イベントの種類祭り
開催時期8月2日から7日
主催青森ねぶた祭実行委員会
来場者数269.0万人(2015年、入込客数)[1]
最寄駅青森駅
公式サイト
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青森ねぶた(屋内に展示されている2009年の東北電力のねぶた)(動画)青森ねぶたと祭りのお囃子

青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)は、青森県青森市8月2日から7日に開催されるねぶた

毎年、延べ200万人以上の観光客が訪れる[1]1980年に国の重要無形民俗文化財に指定された[2]東北三大祭りの一つとされている[3]
起源・歴史浅虫ねぶた

ねぶたの起源に関しては主に以下の三つの説が知られている[4]
坂上田村麻呂説
坂上田村麻呂蝦夷征伐の際、敵をおびき寄せるため、ねぶたを海に流 したことに由来するという説[4]。文献上の初出は江戸時代初期の『東日流由来記』とされるが、この文献は坂上田村麻呂の伝承を記した『田村の草子』と津軽為信による津軽藩南部藩の戦いの歴史が融合して創作されたものと考えられている[4]。この説は明治時代に入って津軽地方で広まり、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として「田村麿賞」が創設されるほど浸透していった[4](ただし現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている。後述)。しかし、坂上田村麻呂の軍勢は最北で志波城盛岡市)までしか北上していないと考えられ否定されるようになった[4]
津軽為信説
江戸時代の『津軽?覧日記』にある説で、文禄2年(1593年)7月に津軽為信が京都で行われていた盂蘭盆会に家臣の服部康成に命じて「津軽の大灯籠」を作らせて町を練り歩かせたところ大評判だったことから、国元の弘前でも開催されるようになったという説である[4]。しかし『津軽?覧日記』は津軽為信の京都滞在から200年後の著作で信頼性に乏しく、服部康成が家臣となった時期も誤っており一般には否定されている[4]。ただし、これより後の時代に津軽為信または子の津軽信枚と服部康成が、津軽において京都の灯籠行事を行ったとする仮説も唱えられている[4]
七夕起源説
七夕行事の「眠り流し」と仏教に由来する「灯籠流し」が融合して発展したという説[4]

坂上田村麻呂説と津軽為信説が否定されるようになり、七夕起源説が一般的に信じられるようになった[4]。しかし、日本海側で古くから実施されていた民間行事の眠り流しが、津軽藩の公式行事となる灯籠行列として大規模に運行されるようになった経緯は必ずしも明らかにはなっていない[4]。京都または近江から弘前に移住した人々によって京都の灯籠行事がもたらされたとする説もある[4]

なお、青森市内では浅虫ねぶたのある浅虫地区[5]のほか、大星神社、雲谷地区、浪岡地区にねぶた発祥伝承がある[4]

ねぶたは骨組みに紙を貼ったものであるが時代とともに変化しており、第二次世界大戦前は竹の骨組みに紙を貼って絵を描いたものの中に蝋燭の火を灯したもので、一人から数人でこれを担いで川や海に運んで流す行事だった[2]。戦後まもなくまで、ねぶたは町内会、青年団、消防団などの地縁組織を中心に行われていた[2]

藩政時代や明治時代には大型の灯籠を担いで町中を練り歩く行為に対ししばしば禁止令が出された。戦時中も禁止されたが、戦況が悪化した1944年には戦意高揚の為に解禁されており、「桃太郎の鬼退治」をもじった「桃太郎のルーズヴェルト退治」(製作者は北川金三郎)といったものが製作された。戦後は逆に進駐軍の影響により西洋への敵対的な表現ができなくなり、また刀を持ったねぶたも事実上制作不能だった。

戦後になると、ねぶたの大型化が進み骨組みは竹から針金に変わり、照明にも電球やバッテリーを使用するようになり、芸術性が高められた一方で経費も大きくなった[2]。そのため1970年代からは企業や同業者組合、行政などが中心となって運行されるようになった[2]
開催状況

毎年8月2?7日まで開催される[2]。このうち8月2?6日で夜間運行がある[2]。7日は昼間運行であるが、夜に陸奥湾で海上運行と花火大会が催される[2]。また、8月1日には前夜祭が行われる。開催にかかる費用は、約2億2000万[6]

青森のねぶたには大型ねぶた、子供ねぶた、地域ねぶたがある。子供ねぶた、地域ねぶたは主に町内会が主流となって運行するねぶたであり大きさも普通の大型ねぶたより一回り小さい。子供ねぶたは8月2・3日の2日間運行される。大型ねぶたは開催期中必ず運行されるが、奨励金の関係か2日と3日は大型ねぶたの運行台数が少ない。

昔は雨天中止になることもあったが、現在は雨天でもビニールをかぶせて運行される。

2018年度よりフォルテが「ねぶた アプリ」をリリースしており、全ての大型ねぶたに位置情報端末(GPS)を取り付け、利用者がアプリをダウンロードすることで、ねぶたの位置情報をリアルタイムで把握できるほか、ねぶたが利用者に近づくと、そのねぶたの団体名や制作者、詳細説明などを設定した言語で自動的に音声解説してくれる。現在、対応言語は日本語、英語、中国語(繁体字、簡体字)、韓国語の5言語である。

2020年2021年は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて開催中止となり[7][8]2022年、3年ぶりに開催された[9]
青森ねぶたの遠征渋谷センター街で運行されるねぶた(2009年)
恒例となっているもの


函館いか踊り」への参加[10]
「青函ツインシティ交流」を結んでいる北海道函館市の「函館いか踊り」との間で、隔年で「ねぶた」と「いか踊り」の相互派遣が行われている。2006年は8月7日のねぶた昼間運行の先頭に「いか踊り」が登場し、2007年は函館に「ねぶた」が派遣された。

「センター街ねぶたまつり」
2005年より、毎年9月(金王八幡宮例大祭と同日)に東京都渋谷区渋谷センター街で開催。但し渋谷センター街自体道路が狭い為、青森ねぶたの半分程度の大きさのねぶた1基が製作される。

おなごりフェスティバル
開催当初より、例年ねぶた1基が参加している。9月第二土曜日に秋田県能代市で開催。


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