青梅自動車
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西武バス飯能営業所飯能営業所所属車両

西武バス飯能営業所(せいぶバスはんのうえいぎょうしょ)は、埼玉県飯能市美杉台5丁目4-1に所在する西武バスの営業所である。

主に埼玉県飯能市入間市狭山市所沢市などの西武池袋線沿線地域と東京都青梅市西多摩郡瑞穂町周辺の路線を担当する。営業所の最寄り停留所は「美杉台ニュータウン」である。

営業所の敷地内には西武バスの子会社である「西武総合企画飯能営業所」と西武グループのタクシー会社である「西武ハイヤー飯能営業所[1]」を併設している。2000年(平成12年)から2010年(平成22年)までは西武自動車(3代)飯能営業所を併設しており、秩父地方の一部路線を管轄する西武バス飯能営業所小鹿野支所を擁していた。本項ではこれらに加え、飯能営業所に統合されて消滅した「西武バス青梅営業所」についても記述する。
概要

1989年平成元年)4月1日に、西武池袋線飯能駅北口に設置されていた「西武バス狭山営業所飯能支所(旧・飯能営業所)」と、青梅市日向和田に存在した「西武バス青梅営業所」を統合したうえで、飯能市美杉台に移転して開設されたのが現在の飯能営業所である。青梅営業所は青梅街道沿いのJR青梅線宮ノ平駅 - 日向和田駅間の中間である和田橋付近に位置しており、停留所名は「日向和田車庫」だった。しかし近隣には西東京バスの停留所および折返場が存在したことから、区別するために「西武日向和田車庫」と呼ばれることもあった。青梅営業所だった敷地の一部は民間の高齢者介護施設「デイサービスのぞみ[2]」が建設されており、隣接していた西東京バスの折返場の跡地は「セブンイレブン青梅日向和田3丁目店」[3]とその駐車場となっている。

なお、1965年(昭和40年)頃までの青梅営業所は、現在でも都営バスが運行する「万年橋」停留所付近にあり、日向和田への移転後も折返場として使用していたほか、飯能駅前にあった旧・飯能営業所の跡地は1992年(平成4年)10月23日に開業した駅ビル「西武飯能ぺぺ[4]」の敷地の一部として活用されている。「西武バス狭山営業所#沿革」も参照
沿革1975年3月末の時点での青梅営業所管内の路線図「都営バス青梅支所」、「青梅線#歴史」、「西武バス#沿革」、および「西武鉄道#歴史」も参照
飯能・青梅のバス草創期

飯能営業所が担当する地域の飯能・青梅地区は歴史が古く、昭和初期の時点で武蔵野鉄道(現在の西武池袋線の前身)によって運行されていた路線に遡る。ただしその多くは武蔵野鉄道が独自に開設したものでは無く、いくつかの中小事業者が担当していた路線を継承したものである。現在の西武バスに繋がる最古の路線の一つとして、東京府下で、1921年(大正10年)に本橋トクによって開業した「武蔵境 - 田無町」線(西武バス滝山営業所を参照)と並び[5]、飯能地域においても1925年(大正14年)に大井八郎によって開業した「入間川(現・狭山市) - 豊岡町(現・入間市) - 飯能」線が記録されている[5]。この地域で中心的存在であったのが青梅自動車[5]で、近藤熊次によって1928年(昭和3年)に創業してからは1933年昭和8年)に「青梅 - 飯能」「青梅 - 金子 - 豊岡町」「青梅 - 御岳」に路線を開業した[5]。運転手は近藤自らが行い、妻が車掌を勤め、青梅鉄道に対抗すべく、武蔵野鉄道との格安乗り継ぎ切符を発行していたことが青梅市の資料に記録されて残っている。

なお、武蔵野鉄道は1930年代に「飯能営業所」として「飯能 - 入間川」「飯能 - 坂戸」線を開業させ、1933年(昭和8年)には「飯能 - 狭山」「豊岡町 - 狭山」「飯能 - 吾野」線を次々に開業、1934年(昭和9年)には吾野共同自動車組合を譲受し、吾野・高麗から坂戸方面への長距離路線も開設するなど路線網を広げていった。1926年(大正15年)に開業した秩父自動車との連絡によって秩父方面へのアクセスも確保している。
箱根土地主導での統合

しかし同時期には各地において中小事業者による競争が激化するようになり、1933年(昭和8年)「自動車交通事業法」が交付された。交通企業の合理化と交通事業の統制を目的としたもので、ここで「1路線に1事業者」の原則が示された。こうした中で事業者の自主統合の流れが進み、1936年(昭和11年)には現在の西武バスに繋がる各路線でも、鉄道会社への統合が進んでいった[5]。武蔵野鉄道は経営難に陥ったため、1932年(昭和7年)に箱根土地が参加する[5]1938年(昭和13年)には戦時統合のために「陸上交通事業調整法」が発布され、戦時体制下での交通事業者の統合が進められて西武においても箱根土地を主導とする統合が進められた。まず青梅自動車は青梅電気鉄道(電化により青梅鉄道から改称された)並行路線を同社に譲渡[5]し、武蔵野鉄道は1930年代に青梅自動車を[5]1940年代には秩父自動車を買収して[5]、青梅・飯能・狭山・秩父エリアに路線網を築いた[5]


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