青梅自動車
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西武バス飯能営業所入口 飯能営業所所属車両

西武バス飯能営業所(せいぶバスはんのうえいぎょうしょ)は、埼玉県飯能市美杉台にあり、西武バスのうち飯能市・入間市狭山市所沢市などの西武池袋線沿線地域と、東京都青梅市西多摩郡瑞穂町周辺の路線を担当する営業所である。最寄り停留所は美杉台ニュータウンである。

敷地内には、子会社である西武総合企画飯能営業所を併設している。2000年から2010年まで西武自動車(3代目)飯能営業所を併設していた。また、秩父地区の一部路線を管轄する支所を擁していた。本項では、これらについても扱うこととする。
目次

1 概要

2 沿革

2.1 飯能・青梅のバス草創期から終戦まで

2.2 青梅営業所統合・移転から現在まで


3 現行路線

3.1 飯能駅 - 美杉台ニュータウン線

3.2 飯能駅 - 岩井堂 - 河辺駅線

3.3 入間市駅 - 箱根ケ崎線

3.4 入間市駅 - 河辺・東青梅線

3.5 狭山市駅西口 - 入間市駅線

3.6 小手指駅 - 箱根ヶ崎線

3.7 武蔵藤沢駅 - アウトレットパーク線

3.8 飯能駅・東飯能駅 - メッツァ線


4 西武自動車飯能営業所

5 飯能営業所小鹿野支所

6 廃止・移管路線

6.1 青梅営業所および狭山営業所飯能支所所管路線

6.2 飯能営業所開設時に廃止・休止された路線

6.3 飯能営業所開設後に廃止・休止、移管された路線


7 車両

8 脚注

9 参考文献

10 関連項目

11 外部リンク

概要

1989年平成元年)4月1日飯能駅北口(現在は駅ビル「西武飯能PePe」敷地の一部となっている)に設けられていた狭山営業所飯能支所(元・<旧>飯能営業所)と、青梅市日向和田に設けられていた青梅営業所を統合した上で、飯能市美杉台へ移転・開設されたのが現在の飯能営業所である。
沿革
飯能・青梅のバス草創期から終戦まで

所管地域である飯能・青梅地区の路線の歴史は古く、昭和初期から武蔵野鉄道(現在の西武池袋線の前身)によって運行されていた路線に遡る。その多くは同鉄道が独自に開設したのではなく、いくつかの中小事業者の路線を引き継いだものである。

現在の西武バスにつながる最古の路線のひとつとして、東京で1921年大正10年)に本橋トクによって開業された武蔵境 - 田無町(現・ひばりヶ丘)の路線(西武バス滝山営業所の項を参照)と並び、埼玉の飯能地区においても、1925年(大正14年)に大井八郎によって開業された入間川(現・狭山市) - 豊岡町(現・入間市) - 飯能の路線が記録に残されている[1]

この地域で中心的存在であったのが「青梅自動車」で、近藤熊次によって1928年(昭和3年)に創業され、1933年昭和8年)には「青梅 - 飯能」「青梅 - 金子 - 豊岡町(現・入間市)」「青梅 - 御岳」に路線を開業した[1]。当初は近藤が運転手で妻が車掌を勤め、青梅鉄道(JR青梅線の前身)に対抗すべく、武蔵野鉄道との格安乗り継ぎ切符を発行していたことなどの記録が、青梅市の歴史資料に残されている。

武蔵野鉄道は1933年昭和8年)、飯能 - 狭山、豊岡町 - 狭山、飯能 - 吾野の路線を開業し[1]、翌1934年には吾野共同自動車組合を譲受して、吾野・高麗坂戸方面にも路線網を広げていった。また1926年(大正15年)に開業した秩父自動車との連絡によって秩父方面への足も築いている。

その後1930年代には各地で中小バス事業者の競争が激化するようになり、1933年(昭和8年)「自動車交通事業法」が交付され、交通企業の合理化と交通事業の統制を目的として、一路線一事業者の原則が示された。こうした時勢化で各地で自主統合への機運が高まり、この地域でもバス事業者の統合が進んだ[1]

青梅自動車は青梅電気鉄道(電化により青梅鉄道から改称)に並行する路線を同社に譲渡。その後武蔵野鉄道は1930年代に青梅自動車を、1940年代には秩父自動車を買収し、青梅・飯能・狭山・秩父エリアに路線網を築くに至った。なお1932年(昭和7年)より、経営難に陥った武蔵野鉄道の経営に箱根土地が参加している[1]

1938年(昭和13年)「陸上交通事業調整法」が発布、戦時体制下での交通事業者の統合が進められ、西武においても箱根土地主導での統合が進められた(詳細は西武バス西武鉄道の項を参照)。戦時中は路線の休廃止や車両の代燃化なども余儀なくされた[1]
青梅営業所統合・移転から現在まで

終戦後は、1953年に青梅 - 立川間の運行が開始されたのに続き、成木小作方面へ路線を拡張、1961年には - 小河内ダム間の急行運転を開始するなど、長距離路線や急行路線も含めて路線網を拡張していった。

しかし1970年代からバス事業は全体的な低迷期に入り、西武バスでは採算性の悪い青梅営業所の路線を整理することとなった。また旧・飯能営業所管内でも、青梅 - 立川の路線を当時の立川営業所(初代)と共同運行していたが、それらの長距離路線もモータリゼーションによって定時運行が困難になり衰退していった。

1975年(昭和50年)、青梅営業所は都営バス青梅支所へ青梅市内の成木・吉野・小作方面の路線を譲渡し、飯能駅・入間市駅発着路線を残すのみとなり、路線網を縮小した。

旧・飯能営業所は、1975年に狭山台団地そばに開設された狭山営業所の支所となり、「狭山営業所飯能支所」として、「万年橋 - 青梅駅 - 柳川 - 岩井堂 - 加治橋 - 飯能駅線」「青梅駅 - 七日市場 - 中神 - 入間市駅」「箱根ケ崎駅 - 元狭山 - 二本木 - 入間市駅線」の運行を青梅営業所との共管で担当した。

1989年(平成元年)4月1日、飯能駅の橋上駅舎化と南口開設にともない、狭山営業所飯能支所を飯能駅北口より飯能市美杉台へ移転の上青梅営業所と統合(西武日向和田車庫は閉鎖)、現在の新・飯能営業所の体勢となった。

青梅営業所・飯能支所の統合により、青梅営業所に所属していた車両のナンバープレートは、多摩・八王子ナンバーから所沢ナンバーへ変更された。飯能支所に在籍していた大宮ナンバーの変更は行われなかった。

1995年1月16日国際興業バス西浦和営業所川越分車庫(当時の名称)管轄であった日高市高萩駅周辺の路線撤退により、西武バス飯能営業所・川越営業所が国際興業バスの路線の運行を引き継いだ。


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