本来の表記は「青蝸z一郎」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
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日本の政治家青 陽一郎あおやぎよういちろう
生年月日 (1969-08-29) 1969年8月29日(50歳)
出生地 東京都中野区
出身校日本大学法学部卒業
早稲田大学大学院公共経営研究科修了
前職松田岩夫衆議院議員秘書
所属政党(みんなの党→)
(結いの党→)
(維新の党→)
(民進党(江田グループ)→)
立憲民主党(直諫の会)
称号学士(政治経済学)(日本大学・1993年)
公共経営修士(専門職)(早稲田大学・2014年)
公式サイト ⇒青柳陽一郎(あおやぎよういちろう) 公式ホームページ - 衆議院 神奈川県第6区(横浜市保土ケ谷区・旭区)
衆議院議員
選挙区(比例南関東ブロック→)
神奈川6区
当選回数3回
在任期間2012年12月16日 - 現職
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青 陽一郎(あおやぎ よういちろう、1969年(昭和44年)8月29日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(3期)、立憲民主党政務調査会筆頭副幹事長[1]。
「蛛vはJIS X 0208に収録されていない文字のため、青柳 陽一郎の表記も用いられる。目次 東京都中野区生まれ[2]。小学校3年生の時に神奈川県横浜市保土ケ谷区へ転居し、横浜市立常盤台小学校、横浜市立保土ヶ谷中学校、日本大学高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業[2]。1993年、松田岩夫衆議院議員事務所に入所し、松田の私設秘書を務める。1998年より松田の公設秘書[2]。2005年、松田が第3次小泉改造内閣で内閣府特命担当大臣に任命されたのに伴い、大臣秘書官を務める[2]。2011年、早稲田大学大学院公共経営研究科に入学[2]。 2012年、第46回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で神奈川6区から出馬。選挙区では公明党元職の上田勇に敗れたが、民主党前職の池田元久を上回る票を獲得し、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活して初当選した[3]。2013年12月9日、みんなの党へ離党届を提出し、結いの党の結党に参加した[4]。2014年9月21日、結いの党・日本維新の会が合流し、維新の党に参加した[5]。同年12月、第47回衆議院議員総選挙に神奈川6区から出馬し、選挙区では上田に敗れたが、再び比例復活により当選した[6]。 2016年3月、民主党・維新の党の合流により民進党の結党に参加[7]。民進党合流により、次期衆議院議員総選挙では神奈川6区の候補を青柳に一本化する方針が決定していたが(第47回衆議院議員総選挙に神奈川6区から民主党公認で出馬した三村和也は18区へ国替え)[8][9]、同年の第48回衆議院議員総選挙に際し、前原誠司民進党代表が9月27日、民進党を事実上解党し、希望の党からの立候補を容認する方針を表明[10]。このため民進党は候補の擁立を見送ったが、青柳は希望の党には合流せず、10月3日に立憲民主党が結党された後も即座には態度を明らかにしなかったが[11]、10月6日に連合神奈川が青柳への支持を表明[12]。10月8日、立憲民主党への参加を表明し、同党公認で神奈川6区から出馬[13][14][15]。日本共産党も候補を取り下げて青柳を支援し[16]、神奈川6区で公明党前職の上田勇や日本維新の会新人の串田誠一を破り、3度目の出馬にして初めて選挙区での当選を果たした[17]。
1 来歴
2 政策・主張
3 所属団体・議員連盟
4 脚注
5 外部リンク
来歴
政策・主張
日本国憲法の改正に賛成[18]。ただし日本国憲法第9条の改正に関しては、かつては賛成していたが[19][20]、2017年の第48回衆議院議員総選挙に際しては反対に転じた[18]。また、この年の初選挙区当選後、日本会議に所属しているのか否かを有権者から問われる出来事が発生したが、当人と青柳の秘書はそれらの質疑に対して「日本会議を脱会した」と返答している。
憲法への緊急事態条項の創設に賛成[18]。