青柏祭
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青柏祭
日本最大級の青柏祭の曳山(でか山)
イベントの種類祭り
開催時期5月
会場石川県七尾市大地主神社
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2006年5月5日の青柏祭

青柏祭(せいはくさい)は、石川県七尾市大地主神社で毎年5月1日から5日まで開催される例大祭である。石崎奉燈祭七尾祇園祭七尾港まつりとともに七尾四大祭のひとつである。なおこの祭礼は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
概要

青柏祭の由来は、神饌青柏の葉に盛って供える事からと言われている。「府中町[1]」・「鍛冶町」・「魚町」三町の“山町(やまちょう)”から、それぞれ「でか山」といわれ上段に歌舞伎の名場面をしつらえた山車(曳山)が3台奉納される。でか山の名前の由来は、山車が大きく、大きいことをこの地方では『でかい(でっかい)』というためである[2]。祭礼中は巨大なでか山が狭い道を立ち並ぶ家の軒や電信柱ギリギリを掠めながら曳かれ、辻回しでは若衆達が古来から伝わる方法を用い見事に回る。また一般観光客が直線部ならびに辻回しの際に綱を曳いて参加できる。

5月2日には、でか山に乗せる人形の「 ⇒人形見(にんぎょうみ)」が各地域の家庭や公民館で行われる。1990年平成2年)より祭礼を執り行う人手確保と観光客誘致のため、これまでより10日早めゴールデンウィーク中の現在の日程となった。

1983年昭和58年)1月11日に、「青柏祭の曳山行事(せいはくさいのひきやまぎょうじ)」という名称で国の重要無形民俗文化財に指定された。また、2016年平成28年)10月には、18府県33件の「山・鉾・屋台行事」の中の1件として、ユネスコの無形文化遺産に登録勧告され[3]、同年12月1日に登録された[4]

2020年令和2年)4月1日新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、この年の曳山行事の中止が決定した[5][6]
歴史

981年天元4年)、能登国国守源順が能登国の祭と定めたのが始まりと言われているが、山車が現在のようになったのは、室町時代後期に能登国守護であった畠山義統の治世において行われたのが起源という説[7]もあり、起源は明確ではない。古くは、4月申の日に開催されていた。この申の日に行われることには理由があり、その昔、七尾の山王神社に毎年一人の美しい娘を人身御供として差し出す習慣があった。ある年に、白羽の矢が立った家の家主が娘の命を助けたいと思い、深夜に社殿に忍び込んでみたところ、猿が「娘を喰う祭りの日が近づいたが、越後の「しゅけん」は俺がここにいることを何も知るまい。」とつぶやいていた。そこで、娘の父親は、「しゅけん」という名を頼りに急いで越後へ向かい、「しゅけん」に助けを求めた。「しゅけん」は全身真っ白な毛の狼だった。その狼の話によると、昔3匹の猿(日光東照宮に描かれている「見猿、聞か猿、言わ猿」のことだとも言われている)が他国から越後に来て人々に害を与えたため、「しゅけん」が2匹までかみ殺したが1匹を逃がしてしまい、行方は分からなかった。その1匹が能登に隠れていたと知った「しゅけん」は娘の父親を背中に乗せ、海の上を鳥のように飛んで七尾へ到着、祭りの日、娘の身代わりになって唐櫃に入り神前に供えられた。その夜、暴風雨で荒れ、両者の格闘する壮絶な物音が聞こえた。翌朝、人々が行ってみると、両者は相打ちで冷たい骸となり倒れていた。人々は、「しゅけん」を手厚く葬り、また、猿のたたりを恐れて、3台の山車を奉納することになった、ということである。1000年以上、続くお祭りというのが街の誇りである。
山車(でか山)山王神社に集まる青柏祭の「でか山」

3台の山車の形は、末広形とも北前船を模したものとも言われ、山車の高さ約12m、上部の開き(長さ)約13m、幅・上部約4.5m、下部(車輪間)約3.6m、車輪の直径約1.9m、幅約0.6m、総重量約20トンの舟形の山車で、山車としては日本最大級、体積・重量では日本一である。

組み立てはまず大きな車輪から舞台部分まで木枠の骨組みを組み、そこに舟形になるよう前後には丸太を斜めに立て、横木に多くの竹を用い碁盤の目に組み立てていく。また舞台裏(後方)も丸太と竹で碁盤の目に組み立てる。ここまでを地山作りという。その後山車全体の外装に150枚ものむしろで蓋い、そこに何枚もの幕を重ねるように覆っていく。また山車前後の外側には木遣衆が乗る木遣り台も据えられる。なお組み立てには釘や(かすがい)などは使用せず、を編んだ藤づると藁縄を用いる藤搦み(ふじからみ)という技法を用いる。これにより山車が揺れて歪みを吸収する柔構造となっている。1台で700mもの藤づるが必要で、現代では藤づるを手に入れるのは困難になってきており、一部の山車はナイロンロープを使用している。組み立てられたでか山の上段正面舞台には毎年題材を替え、御殿や城、神社仏閣など歌舞伎の場面に合わせ立体的に作られ、そこに何体もの登場人物の人形の体と頭を作り、着付けをし飾る。

この大きな山は誰でも曳くことができるのも大きな特徴である。でか山からは3本の綱が繋がれており、山の直前は地元の若衆が、その前方に観光客や子供たちなどが繋がる。でか山は木遣衆が曳き出し唄を歌い終えると前梃子がはずされゆっくりと動き出すが、直線区間では次第に速く小走りぐらいのスピードとなり、でか山が家の軒や電信柱をかすめ迫るように様に進む。若干の軌道修正は中梃子や脇梃子を用い50cmほど横滑りをさせる。また辻回しも誰でも綱を曳くことができ、大きな山を回すことができる。

近年、デカ山の後幕は各町の紋の幕ではなく、地域の子供たちが共同制作した幕を使用しているそうである。

辻回し

辻回しは町角(交差点)で、大きく重たいでか山を人力で回す昔の人達の英知が詰まった技であり、祭礼中は角々でこれを繰り返すが、若衆の心意気と狭い角をダイナミックに一気に回す迫力に、感嘆の声と拍手が起こる見せ場の一つである。なお四つ角とT字路では回し方の方法が違う。

四つ角に進んで来たでか山は交差点内ほぼいっぱい、でか山の約半分が顔を出している状態で止め、でか山の前方に長さ約7mの太く堅い樫の木の大梃子(おおでこ)を斜めに差し込み、下に木馬(まくら)をかまし、ここに多くの若衆が隙間なく座り木遣りに合わせて揺らす。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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