日本の政治家青木 幸保あおき ゆきお
東北6県「道の駅」第5回事例発表会にて
(2019年5月28日)
生年月日 (1954-03-01) 1954年3月1日(70歳)
出生地岩手県東磐井郡長島村
(現西磐井郡平泉町)
出身校岩手県立水沢農業高等学校卒業
前職平泉町議会議長
所属政党無所属
公式サイト町長の部屋(平泉町ホームページ)
青木 幸保(あおき ゆきお、1954年(昭和29年)3月1日 - )は、日本の政治家。岩手県西磐井郡平泉町長(3期)。平泉町議会議員(7期)、岩手県町村議会議長会会長などを歴任した[1]。
来歴)に生まれる。町内の小中学校を卒業後、岩手県立水沢農業高等学校に進学、その後は農業に従事する[1]。
1988年(昭和63年)4月に平泉町議会選挙に出馬し初当選し、2014年(平成26年)まで平泉町議会副議長を1期、平泉町議会議長を2期務めた[2]。 平泉町議会議員7期目途中の2014年(平成26年)7月31日、平泉町議会議長を辞職し、前町長・菅原正義
2014年平泉町長選挙
※当日有権者数:6,810人 最終投票率:78.21%(前回比:-1.14pts)
候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持 2018年(平成30年)7月31日に任期満了に伴い告示された平泉町長選挙では、無投票で2選を果たした[5]。 町長選が無投票となったのは、2006年(平成18年)に現職の鈴木清紀 2022年(令和4年)1月23日に8月に行われる平泉町長選への立候補を表明し、8月2日に任期満了に伴い告示された平泉町長選挙では無投票で3選を果たした[7][8]。 2連続で町長選が無投票となったのは1989年(平成元年)6月以来33年ぶりだった。青木は直前に新型コロナウイルス感染症に罹患したことから、神事と出陣式は本人不在のなか行われ、町内のホテルで行われる予定だった祝勝会も延期された[9]。
青木幸保60無所属新2,614票49.6%
菅原正義60無所属新2,470票46.8%
高久昭二62無所属新190票3.6%
2018年平泉町長選挙
2022年平泉町長選挙
年譜
1954年(昭和29年)3月1日 - 岩手県東磐井郡長島村(現在の西磐井郡平泉町長島
1972年(昭和47年)3月 - 岩手県立水沢農業高等学校を卒業。その後は農業に従事する。
1988年(昭和63年)4月 - 平泉町議員に初当選する。
2000年(平成12年)4月 - 平泉町議会副議長に任命され、2004年(平成16年)まで1期務める[2]。
2002年(平成14年)3月 - 市町村合併調査研究特別委員会委員長に任命され、2004年(平成16年)3月まで同職を務める[1]。
2008年(平成20年)4月 - 平泉町議会議長に任命され、議長を辞職する2014年まで2期務める[2]。
2013年(平成25年)9月 - 岩手県町村議会議長会会長に就任する。
2014年(平成26年)
7月31日 - 平泉町議会議長と岩手県町村議会議長会会長を辞職する[2]。
8月10日 - 平泉町長選挙の投開票が行われ、現職1名と新人1名を抑え初当選する。
8月27日 - 選挙管理委員会委員長から当選証書が手渡され、平泉町長に就任する[4]。
2016年(平成28年)9月29日 - 束稲山麓地域農業遺産認定推進協議会の会長に就任する[10]。
2018年(平成30年)7月31日 - 平泉町長選挙が告示され、無投票で2選を果たす。
2019年(令和元年)10月 - 姉妹都市である和歌山県田辺市を訪れ、一関市長の勝部修、田辺市長の真砂充敏とともに熊野古道を3日かけて歩いた[11][12]。
2022年(令和4年)8月2日 - 平泉町長選挙が告示され、無投票で3選を果たす。
政策・主張
町長1期目の4年間は「畑を耕し、種をまいた段階」と表現し、町民総参加のまちづくりを掲げている[13]。
町長に3選した際の就任挨拶では、「8つの政策」として以下を挙げている[14]。
新型コロナウイルス感染拡大防止と社会経済活動の両立
平泉スマートインターチェンジを生かした企業誘致や新たな工業団地の整備
Uターン・移住者への支援と交流人口・関係人口の拡大
安全安心なまちづくり
教育の質の向上と「平泉学」の充実
健康寿命の延伸と福祉の充実
結婚・出産・子育ての支援
平泉の文化遺産の保護
北上山地への建設が検討されている次世代加速器施設・国際リニアコライダーについて、「東北全体の復興の推進力になる事業」として誘致の推進を主張している[15]。2016年(平成28年)6月に奥州市文化会館Zホールで行われた国際リニアコライダーに関するシンポジウムでは、「平泉の文化遺産は自然との共生、生きとし生けるもの全ての平等と平和が表れている。