その他の同名の人物については「青木さやか (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ファッションモデルの「荒木さやか」とは別人です。
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出典検索?: "青木さやか"
青木 さやか
生年月日 (1973-03-27) 1973年3月27日(51歳)
出身地 日本 愛知県尾張旭市
血液型O型
身長165cm[1]
言語日本語
方言共通語
最終学歴名古屋学院大学外国語学部中国語学科
師匠林家らぶ平
出身名古屋タレントビューロー
グループ名温泉こんにゃくアクロバットショー(解散)
相方松田大輔など(グループ時代)
芸風コント
事務所ワタナベエンターテインメント
活動時期1996年 -
同期品川庄司
角田晃広(東京03)
ほか
過去の代表番組青木さやか・美人の素
音楽戦士 MUSIC FIGHTER
美しき青木・ド・ナウ
幸せの黄色い仔犬
作品写真集『Ou Voyez-vous?』
シングルCD「ノコギリガール?ひとりでトイレにいけるもん?」
他の活動フリーアナウンサー
タレント
女優
司会者
配偶者なし(離婚歴あり)
親族娘
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青木 さやか(あおき さやか、1973年3月27日[1] - )は日本のお笑いタレント、女優、司会者、フリーアナウンサー。ワタナベエンターテインメント所属。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}過去に、事務所ディクターランドに所属していた[要出典]。愛知県尾張旭市出身[2]。 両親とも小学校教諭という家庭環境で育つ[3]。愛知県立瀬戸高等学校、名古屋学院大学外国語学部中国語学科卒業[4]。 大学在学中は「放送文化研究会」に所属していたこともあり、就職活動ではアナウンサー試験を多数受けるも、全て不採用だった[4]。卒業後は名古屋タレントビューローに所属し、イベントの司会や岐阜放送で仕事をする[4]。 その後、中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動し、中京テレビの『めざせ!総・楽・天』に出演。この時はお笑い志望ではなかったが、番組内で「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望として紹介されたことがきっかけでお笑いに転身する。1996年にデビュー。 名古屋では一時期、松田大輔(東京ダイナマイト)らと「温泉こんにゃくアクロバットショー」なる5人組のユニットを組んでいた[5]。ユニット脱退後、しばらくフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲスト出演した際、同社社長の渡辺ミキにスカウトされ、2003年1月よりワタナベエンターテインメントに移籍して本格的に東京での活動を始める。 駆け出し時代、ニッポン放送の『お願い!DJ!克也とのりちゃんはっぴぃウィークエンド』で「イエローハットサウンドハイウェイベストヒットセレクション」の中継を担当していた。その縁で、BSデジタル本放送が開始された2000年12月から、BSフジで放送のニッポン放送制作の番組『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』に松田大輔と「温泉こんにゃくアクロバットショー」としてレギュラー出演した。 2003年頃からフジテレビの『ネプリーグ』や『笑う犬の太陽』、テレビ朝日の『OUT OF ORDER』などの番組にレギュラー出演。同じ頃、日本テレビの『エンタの神様』などのネタ番組でブレイクした。また、以後はお笑い以外にも女優業や司会業などとしても活動。 日本テレビの『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、P'UNK?EN?CIEL(L'Arc?en?Cielの変名ユニット)に「P'UNK青木」としてキーボード・コーラス他で参加し、2004年12月25日「天嘉 - 参 DANGER III in 日本武道館」に出演する。また、2005年1月13日にリリースされたL'Arc?en?Cielのシングル「Killing Me」のカップリング曲「Round and Round 2005 feat. P'UNK青木」でCDデビュー。 2005年4月13日に写真集『Ou Voyez-vous?』(「どこ見てんのよ?」という意味のフランス語)を発売。 2005年7月23日 - 7月24日、フジテレビの特番『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』の総合司会を笑福亭鶴瓶と共に務めた。 2007年10月22日、前田健に紹介された3歳年下のダンサーと出会って、半年で結婚することを発表。24日に婚姻届を提出。 2009年7月30日、一部スポーツ紙での報道[6] を受け、同日レギュラー出演する『森田一義アワー 笑っていいとも!』生放送で妊娠3か月(第1子)であることを発表[7]。 2010年1月14日に出演の『笑っていいとも!』のエンディングで、翌1月15日より産休に入ることを発表[8]。同年3月8日、都内病院で第1子となる3,085gの女児を出産した[9]。6月10日に『笑っていいとも!』に復帰し、芸能活動を再開[10]。その後、育児専念のため、同年9月30日出演をもって『笑っていいとも!』を正式に降板した[要出典]。 2012年3月23日、離婚が報じられ、同日に離婚届を提出したとFAXで報告。女児の親権は青木が持つ。 2017年と2019年には肺がんに罹患し、2度の手術を行った[11]。 2019年9月16日、東京都内で動物保護を呼びかけるトークライブ「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」を初開催。趣旨に賛同した大久保佳代子、六角精児も出席した[12]。
来歴
人物
趣味・嗜好・特技
趣味は料理、住宅図を見ること、子育て[13]。上京直後はたばことパチンコに依存しており、借金を重ねながらもパチンコ通いを続けていたことを自著『母』にて告白している[14]。
特技はピアノ、料理[13]。
芸風
2003年、決め台詞「どこ見てんのよ!!!!」でブレイクする[15]。
その芸風から反感を買うことも多く、『日経エンタテインメント!』2017年7月号掲載のアンケート「嫌いな芸人ランキング」では4位にランクイン。主な理由は「ネタがつまらないから」(58%)がトップ[16]。また、ブレーク時代に、若手芸人にキツイ態度を取っており、ぞんざいに扱われた有吉弘行・山里亮太に強い確執を持たれている[17]。
交友関係
「青木軍団」と称し、同じ事務所の若手芸人と一緒に食事会を開いている。2004年頃に青木・今泉稔(18KIN)・山根良顕(アンガールズ)の3人により結成された[18]。2007年、『美しき青木・ド・ナウ』でその存在が紹介される。現在は、ビビる大木をご意見番に据え[19]、ゴリけん(同期)、後輩のパラシュート部隊・ザブングル・クールポコ・あれきさんだーおりょうらが参加している。また、事務所は違うが古瀬絵理も入団を申し出たことがあるとのこと[20]。
千原ジュニア・千原せいじとは親戚[21]。
出演
バラエティ
めざせ!総・楽・天(1996年10月 - 1997年9月、中京テレビ) - 前期には松田大輔とともにオーディション参加者として出演。後期には「青木さやか劇場」のコーナーを担当。
なるほど夢情報(1997年 - 降板時期不明、岐阜放送)
爆笑オンエアバトル(NHK)戦績2勝6敗 最高453KB
愛のエプロン(テレビ朝日) - エプロンガールズの1人として準レギュラー出演。
クイズプレゼンバラエティー Qさま!!(テレビ朝日) - Qさまプレゼンター
汐留スタイル! (2003年3月 - 2005年3月、日本テレビ) - 金曜の司会およびチーフおトメちゃんズを担当。
OUT OF ORDER(2003年4月 - 2004年3月、テレビ朝日)
ネプリーグ(2003年4月 - 2005年3月、フジテレビ) - 深夜番組時代、「たけのこニョッキ」のコーナーで天の声を担当。
エンタの神様(日本テレビ) - キャッチコピーは「強烈!高気圧ガール」。
笑う犬の太陽(2003年10月 - 12月、フジテレビ)
青木さやか・美人の素(2004年1月 - 2005年9月、TBS)
ブリンぶりん家(2004年4月 - 9月、毎日放送)