青年イタリア
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青年イタリア(せいねんイタリア)、青年イタリア党[1]、あるいはジョーヴィネ・イタリア(イタリア語: Giovine Italia)は、1831年ジュゼッペ・マッツィーニが結成した政治結社である。カルボナリ衰退後のイタリア統一運動の中心を担い、共和主義によるイタリア統一を企てて反乱を繰り返したが、弾圧を受けて凋落した。
背景

19世紀初頭のイタリアでは、サルデーニャ王国両シチリア王国教皇領トスカーナ大公国などの国家群が並立していた。人民の中からは、これらの国家を統一せんとする声が高まり、およそ半世紀にわたる統一運動「イタリア統一運動 (Risorgimento) 」が展開された。

1806年頃に興った秘密結社カルボナリ (Carbonari) 」は、初期リソルジメントを代表する存在であった。カルボナリは急進的な立憲主義を奉じ、瞬く間に勢力を拡大させた。1820年ナポリ近郊の都市ノーラで蜂起したカルボナリは、両シチリア王フェルディナンド1世 (Ferdinando I) に対して憲法の制定を要求し、これを実現させた。翌1821年ピエモンテ州の州都トリノでも反乱を起こし、革命政府を樹立した。しかし、オーストリア軍の介入によりいずれも虚しく瓦解した。

青年イタリアの創設者ジュゼッペ・マッツィーニ (Giuseppe Mazzini) は、このカルボナリの党員であった。
結成

ロマン主義思想の影響を強く受け、民族復興への思いをたぎらせていたマッツィーニは、ジェノヴァ大学を卒業したのちにカルボナリの運動に身を投じた。自前の組織を持つことのできなかった若きマッツィーニは、当時最も勢いのある革命的結社であったカルボナリに期待を寄せたが、入党当初から組織運営に対する不満を持っていた。

イルミナティ (Illuminati) など他の有力団体と同様に、カルボナリは神秘主義的な儀式や格式ばった位階制を採用しており、中央の指導部が発する指令は末端の党員には断片的にしか伝えられなかった。また、カルボナリは農地均分制に基づく平等な民主国家の樹立を目標にしていたとされるが、そのような根本目的すら大半の党員には明かされなかった。そもそも彼らが目指す「国家」とは連邦国家なのか統一国家なのか、その政体共和制なのか王制なのか。こうした点も明確ではなかった。

あまつさえマッツィーニは1830年末、自身の入党式を執行したライモンド・ドーリア侯の裏切りによって捕縛され[2]サヴォーナでの獄中生活を余儀なくされたのである。ここに至ってマッツィーニは、ついにカルボナリを見限った。

釈放後フランスに亡命したマッツィーニは1831年4月、マルセイユに居を定め、同地で知遇を得た亡命仲間らと共に、新たな団体を組織した。これが「青年イタリア」である。
思想

上述の通り、カルボナリの秘密主義に不満を抱いていたマッツィーニは、運動は上層部のみの意思によらず、国民的決起を目指して行われねばならないとの反省に立ち、「イタリアが1つの国民たるべく運命付けられていることを確信するイタリア人の友愛団体」として青年イタリアを結成した。ダンテマキャヴェリサン・シモンバイロンコンドルセらの影響を反映した彼の思想は、「ローマ復興理想と空想的社会主義との奇妙な混合」と呼ばれた。

マッツィーニによれば、人類の集団的救済を目指す新宗教におけるメシアは、一個人ではなく集団であることが求められ、イタリア民族こそ神に選ばれたメシア集団であるという。

かつて「皇帝のローマ」は果敢な行動によりヨーロッパに大帝国を築き上げ、「教皇のローマ」は欧米を精神面で統一した。現在求められているのは、行動と精神とを結び付ける「人民のローマ」による世界の統一である。この使命を神から受けたイタリア民族は、メシアたるにふさわしい存在とならねばならない。そのために、まず「イタリアをオーストリアと専制政治とから解放して、進歩と自由を享受する統一共和国を創造」して全国民の団結を図る必要がある。マッツィーニはその手段として、ゲリラ戦の重要性を強調した。

なお、ゲリラ戦に関するマッツィーニの主張は、カルロ・アンジェロ・ビアンコ (Carlo Angelo Bianco、1795年 ? 1843年)の持論を下敷きにしているとみられる。ピエモンテやスペイン、ギリシアでの革命に参加した経験を持つビアンコは、ゲリラ戦を革命の要諦と位置付けた。マッツィーニは亡命先のマルセイユでビアンコと出会い、彼の主導する秘密結社「アポファジーメニ(「自暴自棄になった人」「決死隊」の意)」に加入した。


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