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出典検索?: "青嶋達也"
あおしま たつや青嶋 達也
プロフィール
出身地 日本 静岡県浜松市
生年月日 (1965-08-12) 1965年8月12日(58歳)
血液型B型
最終学歴早稲田大学第一文学部
勤務局フジテレビジョン
部署編成制作局 アナウンス室[1]
職歴スポーツ統括担当部長[2](現職)
活動期間1988年 -
ジャンルスポーツ
配偶者小長谷悠紀
公式サイトフジテレビ・青嶋達也
出演番組・活動
出演経歴『UEFAチャンピオンズリーグ』
『セリエAダイジェスト』
『FNN NEWSCOM』
『THE WEEK』
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日[3] - )は、フジテレビのアナウンサー。
来歴卒、静岡県立浜松北高等学校卒、早稲田大学第一文学部卒業後の1988年にフジテレビ入社。
有賀さつき、河野景子、八木亜希子の3人娘を最前線に配置する傍ら、同期では唯一の男性アナウンサーであったが、報道番組のほか、スポーツ実況もこなし、スポーツ中継で最初に担当した競馬では異常に早口で滑らかな実況を武器とし、アナウンサー仲間から「1000m?1200mの短距離レースで出走馬全頭の名前を2回も言えるのは青嶋だけ」とも評される[4]。故に競馬ファンからは、かつての名短距離馬サクラバクシンオーをもじって「アオシマバクシンオー」と言う通称を持つ[5]。
1994年に始まったサッカー番組『セリエAダイジェスト』では「マルカトーレ青嶋」の二つ名での、独特のアドリブを交えたハイテンションなナレーションが話題となり[4]、後の『サッカー小僧』でもこの呼び名が定着している。
その他1990年代には前述の競馬中継や「セリエAダイジェスト」をはじめ、スポーツ実況からバラエティー番組のナレーションなど幅広いジャンルの番組を担当。平日夜の報道番組『FNN NEWSCOM』ではサブキャスターを務め、1996年10月から1年半は土曜日の情報番組『THE WEEK』のメインキャスター(4代目)も担当した。
2000年代以降は、主にサッカー・競馬番組を担当しているほか、ニュースや各種番組ナレーション(『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』など)、一部バラエティー番組のスペシャル放送を担当。2006年のW杯ドイツ大会では決勝の実況を務める(地上波民放テレビ局では東京12チャンネル時代の金子勝彦に次いで2人目、現行のジャパンコンソーシアム体制では初)。2011年の女子W杯ドイツ大会でも決勝の実況を務め、日本(なでしこJAPAN)の初優勝を伝えた。UEFAチャンピオンズリーグやJリーグカップでも決勝戦の実況を担当している。
自転車のロードレースとの関わりも深く、フジテレビがツール・ド・フランスの放映権を獲得した1992年から2004年まで、ツール・ド・フランスの実況を担当していた。そのため、当時は毎年7月になると『J SPORTS』(かつてはフジテレビも出資していた)の生中継に出ずっぱり状態になるのが通例だった。その後も2006年・2007年のジャパンカップサイクルロードレースで場内実況やレース後のインタビューを担当するなど、自転車競技との関係は続いている。
また、1996年にフジテレビ系列で放送されたアニメ『みどりのマキバオー』のオープニングテーマ『走れマキバオー』を担当。同僚の三宅正治、福井謙二両アナとの音楽ユニット「F・MAP」として参加し、青嶋は間奏でのコント・イントロ&間奏でのレース実況音声を担当した。
2003年に放送された『実況格闘』(出場アナウンサーが課題VTRに対しアドリブで実況を行いその優劣を競う特番)では志生野温夫・神田康秋・煙山光紀らといった他のアナウンサーを下して優勝しているほか、『FNSアナウンス大賞』では2002年・2007年にスポーツ部門の部門賞を受賞するなど過去に多くの受賞歴がある。
挿話
父親の青嶋守隆は、浜松オートに所属していた元オートレース選手。5歳下の弟が居り、兄弟揃って同じ学校(小学校から高校迄)に通っていた。夫人は、跡見学園女子大学観光コミュニティ学部の教授で、元IBC岩手放送アナウンサーの小長谷悠紀。その父親で同郷でもある詩人の小長谷清実は、義父にあたる。
タレントの大澄賢也とジャズボーカリストの鈴木重子は、浜松北高等学校の同級生である。
新人当時、タモリからは『フジテレビの大江千里と呼ばれていた。
語学が堪能で『サッカー小僧』の「青島が見送る」のコーナーでは海外のスター選手の来日、帰国を見届ける時、英語に限らずフランス語、イタリア語で会話していた。
2011年3月12日午前に東日本大震災関連の特番でキャスターを務め、『FNN NEWSCOM』終了以来、17年ぶりに木村太郎と共演した。