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青島
2007年撮影
所在地 日本 宮崎県
所在海域太平洋(日向灘)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度48分18.8秒 東経131度28分33.2秒 / 北緯31.805222度 東経131.475889度 / 31.805222; 131.475889座標: 北緯31度48分18.8秒 東経131度28分33.2秒 / 北緯31.805222度 東経131.475889度 / 31.805222; 131.475889
面積0.044 km²
海岸線長0.86 km
最高標高6 m
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}青島 青島の位置宮崎県の地図を表示青島青島 (日本)日本の地図を表示
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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青島(2021年1月空撮)青島神社空撮青島
画像:2017年撮影
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 鬼の洗濯板青島の弥生橋
青島(あおしま)は、宮崎県宮崎市の南東部海岸付近に所在する架橋された島。
島の規模は周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6m。陸繋島になりつつある。対岸は青島海岸と呼ばれ、青島海水浴場などを含む一大観光地になっている。青島と青島海岸とは弥生橋によって結ばれている。青島神社の鎮座地。 砂岩と泥岩が交互に重なった地層(油津層群)からなる山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起することで「隆起波食台
自然
島では200種類以上の植物が確認されており、そのうち熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種あり、北半球最北の亜熱帯植物群落である。中でもビロウの大群落は貴重であることから「青島亜熱帯性植物群落」として日本国の特別天然記念物に指定されている。本来ならば寒さにより枯死する高緯度の場所にこのような熱帯性及び亜熱帯性植物の植物群が存在する理由として、学者により二つの説が提起されている。一つは海着帰化植物説といい、島の沖を流れる黒潮によりフィリピンや沖縄方面から南方系の植物の種子や生木が漂着し繁栄したという説。もう一つは遺存説といい、第三紀前に日本で繁栄した高温に適する植物が気候、風土、環境に恵まれたこの場所に取り残され、今日まで繁栄したという説。現在では後者の遺存説が有力視されている。 明和年間ごろから明治維新までは、淡島、もしくは粟島と呼ばれていたが、それ以前の、文明年間、天正年間、寛文年間などの土地寄進に関する文書、文亀年間、貞享年間などの諸藩主の神社再興の棟札などは青島と記されている。ただ、飫肥藩の神社調書の記録によると、青島と呼ばれていた時代においても、「淡島と号す。俗に青島と言う」と記されている[1]。 島の中に青島神社があり、神聖な場所であるため祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていたが、1737年(元文2年)当時の青島神社神主・長友肥後が飫肥藩主伊東祐永に解禁を申請し、弥生(旧暦の3月)後半の一時期に限り一般人の参詣が許されるようになり、明治以降は年間を通して立ち入りできるようになった。昭和に入ると周辺の青島海岸に遊園地や海水浴場が整備され、ホテルが建ち並ぶ観光地になった。2003年(平成15年)において年間約70万人の観光客が訪れている。
島名
歴史
年表
1908年(明治41年) - 新聞『日本』が行った日本全国の避暑地人気投票で、日向青島が1位となる[2]。
1934年(昭和9年)5月1日 -「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」が国の天然記念物に指定される。
1939年(昭和14年)3月21日 - 遊園地「子供の国」開園(後の「青島リゾートこどものくに
1949年(昭和24年)6月5日 - 昭和天皇が青島を視察。
1952年(昭和27年)3月29日 -「青島亜熱帯性植物群落」が特別天然記念物に指定される。
1955年(昭和30年)6月1日 - 周辺地域が日南海岸国定公園に指定される。
1962年(昭和37年)5月2日 - 当時の皇太子(明仁親王)、皇太子妃(美智子)が訪問[3]。
1967年(昭和42年)6月1日 - 宮崎県立青島亜熱帯植物園開園。
1978年(昭和53年)3月 - 弥生橋架替竣工(現橋)
1990年(平成2年)12月 - 観光客の減少などにより青島海岸で最大のホテルであった橘ホテルが閉鎖される[4]。
1998年(平成10年) - 青島海水浴場が環境庁「日本の水浴場55選」に選定される。
2001年(平成13年) - 青島海水浴場が環境省「日本の水浴場88選」に選定される。
2006年(平成18年) - 青島海水浴場が環境省「快水浴場百選」に選定される
2007年(平成19年) - 青島が日本の地質百選に選定される。