青山(あおやま)は、東京都港区西北部に位置する北青山および南青山の総称。青山という行政上の地名は存在しない。
現行行政地名は、北青山一丁目から三丁目、および南青山一丁目から七丁目。郵便番号は、107-0061(北青山)・107-0062(南青山)である。
概要・沿革骨董通り
現在の明治神宮外苑から青山霊園まで含む地に、徳川家康の重臣であった青山家の青山忠成(1551 - 1613年)の広大な下屋敷(現在における別荘に該当)が置かれたことにちなみ、この付近一帯の町名に青山を冠した(赤坂青山○○町)ことが地名の起こりである。江戸時代中期までに幾度かの配置転換を繰り返した後、青山通りを挟んで北面に宗家の篠山藩の下屋敷や、現在の赤坂御用地の一画に中屋敷があった。南面には分家の屋敷が点在し、旗本屋敷や郡上藩の下屋敷があった。
青山家の支族が江戸時代中期に郡上藩(現岐阜県郡上市)を所領とした縁で、幸成系青山家(青山忠成の四男の家系)の菩提寺である南青山の梅窓院では、年に一度「郡上おどり in 青山」が催される。
江戸の街外れとして大名の下屋敷、庶民の町屋、雑木林などが広がる地域であったが、明治以降は中流の住宅街として発展。第二次世界大戦直後は青山南町に戦災者向けのアパート(住宅営団戦災者住宅)が建設されたが、1948年(昭和23年)2月15日に火災が発生してアパート3棟が全焼。死者4人、負傷者6人の被害が出た[1]。
1964年東京オリンピックに合わせ大幅に拡張した厚木街道(大山街道)は青山通り(国道246号)として呼称が定着、以後は徐々に個人商店や民家、そしてアパートが雑居ビル、オフィスビル、マンション、高級ブティックや飲食店、あるいは美容院などに取って代わられた。庶民の住宅街だった青山は今日のおしゃれなイメージの街へと変貌を遂げるものの、南青山2 - 4丁目にはかつての庶民的な面影が昔日ほどではないが色濃く残る(高級住宅街の様相としては#関連項目参照)。
1970年6月23日に行われた70年安保に抗議するデモでは、青山が明治公園から日比谷公園に向かうデモ隊の通過点となり、青山三丁目や青山墓地下では学生らが機動隊に向け火炎瓶の投擲や投石を行い一帯が騒然となった[2]。
表参道交差点からみゆき通り、骨董通り、キラー通りなどにわたって感度が高いブティックやセレクトショップが軒を並べる。70年代半ばから後半にパリコレに参加した故君島一郎や森英恵のほか、コシノジュンコ、イッセイミヤケ、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、ツモリチサトといった日本を代表する錚々たるブランドの旗艦店や、バレンシアガ、プラダ、ミュウミュウ、ジル・スチュアート、マックスマーラ、デュベティカ、モンクレール、アニエス・ベーから、ドルチェ&ガッバーナ、アクネ、ステラ・マッカートニーまで世界的ハイブランドの店舗が軒を連ねる。