青山学院女子短期大学
間島記念館
大学設置1950年
創立1874年
廃止2022年
学校種別私立
設置者学校法人青山学院
本部所在地東京都渋谷区渋谷4-4-25
学部現代教養学科
日本専攻
国際専攻
人間社会専攻
子ども学科
[注 1]
ウェブサイト ⇒http://www.luce.aoyama.ac.jp/
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青山学院女子短期大学(あおやまがくいんじょしたんきだいがく、英語: Aoyama Gakuin Women's Junior College)は、東京都渋谷区渋谷に本部を置いていた日本の私立短期大学である。大学の略称は青短。2019年度から全学科で募集停止し、2022年3月に全学生が卒業した。同年10月に文部科学省から廃止認可を受けて正式に閉学した[1]。 1874年、米国メソジスト監督教会女性海外伝道協会から派遣された女性宣教師ドーラ・E・スクーンメーカーにより創始された「女子小学校」に起源を求めることが出来る。女子教育の開拓的学校である。メソジスト派のミッションスクールで、キリスト教に基づく教育に特色がある。2011年度までは学科体制が5学科と1学科2専攻だったが、2012年度より1学科3専攻と1学科に縮小。キャンパスは青山キャンパス内、青山学院大学の隣に位置している。南青山に隣接し、表参道駅から徒歩7分である。学長は河見誠。副学長は趙慶姫。2018年度をもって学生(専攻科を除く)の募集を停止した。 教育理念は「青山学院のキリスト教の信仰にもとづき、「女子小学校」から「青山女学院」を経て現在に至る本学院の女子教育の伝統を継承し、女子の高等教育に専念する」となっていた[2]。 キリスト教の信仰に基づいた教育が行われていることから、「キリスト教学」といった宗教系科目があった。青山学院女子短期大学の共通コア科目として、課題を発見する力を育む「ライフ・キャリア・デザイン科目」があった。女性のライフコースとキャリアの観点から、将来を見据えて今何をすべきか、明確にする授業であった。 短期大学2年間ないし3年間の短期集中で教養と資格を身につけることができ、様々な進路が用意されていた。キリスト教系の大学であることから「クリスマス礼拝」、「イースター礼拝」など宗教的行事が盛んに行われていた。毎週の授業や礼拝のほかに、学生中心に行われるボランティアがあった。入試のレベルは全国の短大の中でも最上位に位置した。2014年度から青山学院大学共通科目の青山スタンダード科目の一部を、短大の学生も受講できる単位互換制度が始まっていた。 2017年7月、2018年度をもって学生の募集を停止することを決定、発表した[3]。発表時、青山学院女子短期大学の偏差値は短期大学の中でもトップクラスであり、1950年の短期大学開学以来定員割れは一度も起こらなかった[4]。しかし18歳人口の減少や女子の四年制大学への志向が強まる中、短期大学のあり方を議論を重ねた[5]。短期大学は就職のための実学を担うところが多いが、現在では四年制大学でも実学が重視される傾向が強くなり、10年後、20年後を見すえたときに短期大学としてではなく大学の一学部として発展させるのが好ましいと考えたという[6]。青山学院女子短期大学の教育内容は、2019年に青山学院大学に開設されたコミュニティ人間科学部に引き継がれた。
概観
大学全体
建学の精神(校訓・理念・学是)
教育方針
青山学院の教育方針として次のように掲げられていた。
青山学院の教育はキリスト教信仰に基づく教育をめざし、神の前に真実に生き、真理を謙虚に追究し、愛と奉仕の精神をもって、すべての人と社会とに対する責任を、進んで果たす人間の形成を目的とする。
礼拝について
青山女子短期大学では毎週月・水・金曜日に礼拝が行われていた。説教はキリスト教師を始め外部から招いていた。
教育および研究
学風および特色
学生募集停止
沿革「海岸女学校」も参照海岸女学校(1881年)東京英和女学校(1888年)プラット記念講堂青山キャンパス構内(1955年)
1874年 麻布新堀町で女子小学校が開校する。
1875年 救世学校に改組される。
1877年 築地に移転し、海岸女学校に改組される。
1888年 青山の東京英和学校の敷地内で東京英和女学校が開校する[7]。
1891年 東京英和女学校職業部開設[8]。
1894年 海岸女学校が東京英和女学校に吸収される[9]。
1895年 青山女学院に改組される[9]。
1899年 職業部が分離し、青山女子手芸学校と称する[10]。
1902年 青山女学院の学科課程を改め、予備科3年、高等女学科5年、英文専門科(予科1年・本科3年)とする[9]。
1904年 高等女学科を高等普通科と改称する[11]。英文専門科が専門学校令により認可される[12]。
1914年 青山女子手芸学校を統合して青山女学院手芸部とする[13]。
1915年 高等普通科を高等女学部と改称する[14]。
1920年 英文専門科を閉鎖[15]。
1921年 高等女学部専攻科(家政科、実務科)を新設(翌年裁縫研究科を増設)[15]。
1921年 豊多摩郡渋谷町代官山の8,000坪の土地を購入[16]。
1922年 専攻科と手芸部が代官山の新校舎に移転[17]。
1923年 関東大震災で青山と代官山の校舎が大破[17]。
1925年 青山女学院と青山学院の合同に関する協定成立[18]。
1927年 青山女学院と青山学院が合同し、青山学院高等女学部が発足。アルバータ・スプロールズが部長に就任[18]。
1928年 青山学院神学部女子部が設置される[19]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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