青山学院大学
間島記念館(2011年4月)
大学設置1949年
創立1874年
学校種別私立
設置者学校法人青山学院
本部所在地東京都渋谷区渋谷四丁目4番25号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分37.3秒 東経139度42分34.5秒 / 北緯35.660361度 東経139.709583度 / 35.660361; 139.709583
大学ランキング
全世界
QS[1]1201-1400
アジア
QS (全世界版)[2]
QS (Asia version)[3]351-400
青山学院大学(あおやまがくいんだいがく、英: Aoyama Gakuin University)は、東京都渋谷区渋谷四丁目4番25号に本部を置く日本の私立大学。1874年創立、1949年大学設置。大学の略称は青学(あおがく)[4]、青学大(あおがくだい)[5]、AGU[6]。 1874年(明治7年)に佐倉藩の農学者、津田仙の斡旋によりドーラ・E・スクーンメーカーが麻布に設立した女子小学校、1878年(明治11年)に津田仙の命名、斡旋によりジュリアス・ソーパーが築地に設立した耕教学舎、1879年(明治12年)にロバート・S・マクレイが横浜山手町に設立した美會神学校の3つを源流とする大学である[7][8]。 1881年(明治14年)、津田仙、和田正幾、菊池卓平、元良勇次郎、生島閑、栗村左衛八等の尽力により耕教学舎と美會神学校が合併して東京英学校となり、1883年(明治16年)、ジョン・F・ガウチャーの寄付により赤坂区青山南町七丁目の開拓使試験場跡に移転し、東京英和学校と改称。1894年(明治27年)に本多庸一院長により青山学院と改称し、神学部と普通部が設置される。1904年(明治37年)に神学部、高等科、青山女学院英文専門科が旧制専門学校として認可を受ける。 大正期の高木壬太郎院長は大学令による旧制大学への昇格を目指したが、高木の急逝と関東大震災のため昇格計画は頓挫した。 1943年(昭和18年)に神学部を閉鎖し、さらに翌年専門部(文学部、高等商業学部)をも閉鎖し、青山学院工業専門学校を開設。 終戦後の1946年(昭和21年)に青山学院専門学校が発足し、翌年横須賀分校を開設(1950年横須賀学院に継承)[9]。 1949年(昭和24年)に新制大学として青山学院大学が開校し、文学部、商学部、工学部を設置。工学部は経営難のため翌年関東学院大学に譲渡されたが[10]、1965年(昭和40年)に理工学部として復活。1959年(昭和34年)に法学部、1966年(昭和41年)に経営学部、1982年(昭和57年)に国際政治経済学部を設置した。 2023年(令和5年)時点で、11学部・12研究科(大学院)を設置する総合大学である[11]。 学院院長、理事長、および大学長を除く設置学校の長は、キリスト教徒であることが義務付けられている(かつては大学長も)。
概説
大学全体