青山墓地
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青山霊園六本木ヒルズ森タワーから望む霊園
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詳細
開園1874年明治7年)9月1日
所在地東京都港区南青山二丁目32番2号
日本
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分0秒 東経139度43分20秒 / 北緯35.66667度 東経139.72222度 / 35.66667; 139.72222座標: 北緯35度40分0秒 東経139度43分20秒 / 北緯35.66667度 東経139.72222度 / 35.66667; 139.72222
種別公営[1]
運営者公益財団法人 東京都公園協会
総面積26.3ha
墓所面積 12.8ha
ウェブサイト ⇒http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
Find a Grave青山霊園
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青山霊園(あおやまれいえん)は、東京都港区南青山二丁目にある東京都立の霊園である[1]
概説

青山霊園は、樹木が生い茂る武蔵野の面影を留める港区の北西に位置し、ビル街の中にある園内には桜並木が縦横に走る落ち着いた雰囲気を保っている。面積は約26haで、明治に入り会津藩出身の桐生氏が開いた現在の附属立山墓地(青山霊園立山地区)が興りとされ、隣接してのちの青山霊園への造成へとつながっていった。

1872年(明治5年)、美濃郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主青山家下屋敷跡に開設された。当初は神葬祭墓地であった。1874年(明治7年)9月1日、市民のための公共墓地となった。1889年(明治22年)、東京府から東京市に移管された。1926年(大正15年)、斎場の建物のすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となった。現在は東京都の所管である。

桐生氏は当時の東京府に土地所有権を無償で供与し代々立山墓地の管理に携わってきたが、東京都により2008年3月いっぱいで管理の更新を断られた。都による墓所使用料未払いによる無縁仏への墳墓改装、それに伴う公園型霊園開発を理由とした、2000年代以降の霊園内外都有地の段階的な賃貸料増額も相まって管理の更新を断られ、先祖開拓以来の土地を離れることとなった。なお、霊園内外国人墓地に関しては無縁仏として改装されず、貸付対象箇所にはならないことになった。

明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くある。維新の三傑である大久保利通細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓もある[注釈 1]。附属立山墓地には、永田鉄山木村兵太郎相楽総三なども眠っている。
沿革

江戸時代 - 美濃郡上藩(岐阜)青山大膳亮幸哉の下屋敷[2]

1872年明治5年)

7月 - 神葬墓地の指定 - 青山百人町足シ山(立山地区)[2]

11月 - 神葬墓地の指定 - 青山元郡上邸跡(青山霊園)[2]


1874年(明治7年)

6月 - 墓地の指定 - 青山百人町続神葬地(立山地区)、青山神葬地[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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