日本の政治家青山 周平あおやま しゅうへい
文部科学副大臣就任時に公開された肖像
生年月日 (1977-04-28) 1977年4月28日(47歳)
出生地 日本 愛知県岡崎市福岡町
出身校法政大学社会学部
前職幼稚園職員
所属政党自由民主党(安倍派→無派閥)
称号学士(社会学)
親族父・青山秋男(元愛知県議会議員)
公式サイト衆議院議員 あおやま周平【青山周平】
衆議院議員
選挙区(愛知12区→)
比例東海ブロック
当選回数4回
在任期間2012年12月16日 - 2017年9月28日
2019年2月5日 - 現職
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青山 周平(あおやま しゅうへい、1977年4月28日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。
文部科学副大臣、文部科学大臣政務官兼内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官を歴任。 愛知県岡崎市福岡町字下西野に生まれる(現住所も同じ[1][2])[3]。父親は当時岡崎市議会議員だった青山秋男。就学前の1980年(昭和55年)7月14日、父親の秋男は衆院選にからみ他の自民党市議とともに被買収容疑で逮捕された[注 1]。岡崎市立福岡小学校2年生のときに岡崎ラグビースクールに入った[25]。 1990年(平成2年)、岡崎市立福岡中学校へ進学。中学在学中に父親は愛知県議会議員に初当選[26]。 1996年(平成8年)3月、愛知県立岡崎高等学校卒業。同年4月、法政大学社会学部に入学。高校から大学までラグビー部に所属した[25]。 2000年(平成12年)3月、法政大学社会学部卒業。同年4月、株式会社ジェイアール東海島屋に就職。同年9月10日に行われた岡崎市長選挙で、父親と杉浦正健衆議院議員の支援を受けた柴田紘一県議が現職の中根鎭夫を打ち破る[24][23]。これによって岡崎の保守勢力の分布図が塗り変わり、翌2001年(平成13年)、青山はわずか1年足らずで退職。父親が経営する学校法人青山学園に入社した[25][27]。 2001年(平成13年)、杉浦正健が岡崎市に設立した政治塾「ポセヤ」(ポリティカル・セミナー・オブ・矢作の略称)に早速参加。自民党県連会長だった杉浦の発案で党内に作られた愛知政治大学院[28][29]にも参加し、政治家を真剣に志すようになる[30]。 同年、高校・大学の同窓生と結婚[31][25]。青山学園でははずみやこ幼稚園、ながら幼稚園、みやこ第二幼稚園の園長や事務長などを務めた。 2009年(平成21年)8月の衆院選で杉浦正健は落選し[32]、同年11月に政界引退を表明した[33][注 2]。
来歴