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を参照してください。(2023年8月)「青い瞳(英語)」
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ の シングル
B面青い彗星
リリース1966年3月10日
(オリジナルEP盤)
1981年4月1日
(再発売EP盤)
2014年6月11日
(CD-R盤)
ジャンルグループ・サウンズ
時間2分42秒
レーベルCBS/日本コロムビア
(オリジナルEP盤)
日本コロムビア
(再発売EP盤)
MEG-CD
(CD-R盤)
作詞・作曲作詞:橋本淳
作曲:井上忠夫
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ シングル 年表
サンダー・ボール/ミスター・キス・キス・バン・バン
(1966年)青い瞳
(英語)
(1966年)愛の終りに
(1966年)
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「青い瞳(日本語)」
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ の シングル
B面マリナによせて
リリース1966年7月10日
(EP盤)
2014年6月11日(CD-R盤)
ジャンルグループ・サウンズ
時間2分43秒
レーベルCBS/日本コロムビア(EP盤)
MEG-CD(CD-R盤)
作詞・作曲作詞:橋本淳
作曲:井上忠夫
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ シングル 年表
愛の終りに
(1966年)青い瞳
(日本語)
(1966年)青い渚
(1966年)
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「青い瞳」(あおいひとみ、英題: Blue Eyes)とはジャッキー吉川とブルー・コメッツの楽曲である。 最初に1966年3月に英語盤が、当時日本コロムビアの洋楽レーベルだったCBSレーベルより発売された。ブルー・コメッツのメンバーである井上忠夫が1965年に作曲。作詞は橋本淳。英語盤は10万枚以上のセールスを記録し、ジャッキー吉川とブルー・コメッツが世に出る切っ掛けを作った曲となった。 当初英語詞での発売となったのは、この当時のレコード会社に根強く残る古い体質の影響だったといわれる。即ち「洋楽レーベルから出すのになぜ詞が日本語なのか」というレコード会社からの疑義があり、仕方なしに英語詞を付けたとのことである[1]。なお、1966年当時、当シングル盤の価格は事実上の洋楽扱いだったため、370円と割高だった(当時の邦楽は330円。1ドルが360円の時代だったので、全体的に輸入盤が割高だった)。 この英語盤が発売された4ヶ月後の1966年7月に、同じくCBSレーベルから同曲の日本語盤が発売された。日本語盤は50万枚以上のセールスを記録し、英語盤をはるかに凌ぐ全国的なヒットとなり、グループ・サウンズ史の起源となった曲として有名である。 英語盤の歌詞の冒頭部分は、リッキー・ネルソンの「ロンサム・タウン
概要