「青い影」
プロコル・ハルム の シングル
B面ライム・ストリート・ブルース
リリース1967年5月12日[1]
規格7インチ・シングル
録音ロンドン、オリンピック・スタジオ(1967年4月)
ジャンルプログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック
時間4分03秒
レーベルデラム・レコード
作詞・作曲キース・リード、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー
プロデュースデニー・コーデル
チャート最高順位
1位(全英シングルチャート)[2]
5位(Billboard Hot 100)[3][4]
1位(西ドイツ)[5]
1位(フランス)
1位(イタリア)
1位(オランダ)[6]
1位(カナダ)
プロコル・ハルム シングル 年表
青い影
(1967年5月)ホンバーグ
(1967年9月)
ミュージックビデオ
「A Whiter Shade Of Pale」promo film #1
「青い影」(あおいかげ、原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲。
全英シングルチャートで6週連続で1位を記録した。ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では57位にランクされた[7]。イギリスのBBCラジオ2が2009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」では第1位に選ばれている[8]。 キース・リードが作詞し、ゲイリー・ブルッカーが作曲した。しかし、後述のとおり法廷闘争が繰り広げられ、現在は当時のメンバーのマシュー・フィッシャーも作曲者としてクレジットされている。 フィッシャーのオルガンによるイントロダクションと、バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』との近似性はこれまでにたびたび指摘されている[9]。パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」(1966年)の影響を受けているとも言われている[10]。 レコーディングは1967年4月、ロンドンのオリンピック・スタジオで行われた。当時、プロコル・ハルムにはまだ固定されたドラマーがいなかったため、ジャズ・ドラマーのビル・エイデンがセッションに参加した。2テイクで録音は終了し、オーバーダビングは一切されなかった[11]。ハ長調の楽曲である[12]。数日後、グループはボビー・ハリソンを新しくドラマーとして迎え入れ、アドヴィジョン・スタジオで再びレコーディングに取り組むが、このときのテイクは結局採用されなかった。「青い影」のほかに「ライム・ストリート・ブルース」が録音された[13]。 際立って聞こえるシンバルの音のせいで、プロデューサーのデニー・コーデルはラジオでかけたときに問題になるかもしれないと考えた。そのためアセテート盤を密かに海賊放送のラジオ・ロンドン
概要
1967年5月12日、シングルA面として発売[1]。B面は「ライム・ストリート・ブルース」[16]。2週間で40万枚近くを売り上げた。全英シングルチャートで6週連続1位を記録。同年7月29日から8月5日にかけてビルボード・Hot 100で2週連続5位を記録した[3][4]。