露鵬
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露鵬 幸生


基礎情報
四股名露鵬 幸生
本名ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ
(Сосла?н Фе?ликсович Бора?дзов)
愛称ソスラン
生年月日 (1980-03-09) 1980年3月9日(44歳)
出身 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
北オセチア自治ソビエト社会主義共和国ウラジカフカス市
身長195cm
体重146kg
BMI38.04
所属部屋大鵬部屋→大嶽部屋
得意技右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付解雇
最高位東小結
生涯戦歴267勝198敗18休(38場所)
幕内戦歴182勝160敗18休(24場所)
優勝序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵2002年5月場所[1]
入幕2004年9月場所[1]
引退2008年9月8日(解雇)
趣味ロシア映画の鑑賞、音楽鑑賞
備考
2019年12月30日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

露鵬 幸生(ろほう ゆきお、1980年3月9日 - )は、ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス市出身で大嶽部屋(入門時は大鵬部屋)に所属していた元大相撲力士。本名はソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ(Сосла?н Фе?ликсович Бора?дзов、サスラーン・フィエーリクサイチ・バラーヅァフ)。ロシア国籍のオセット人

最高位は東小結(2006年3月場所)。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。趣味はロシア映画鑑賞と音楽鑑賞。好きな格闘家はエメリヤーエンコ・ヒョードル、愛称はソスラン[1]。弟は北の湖部屋(入門時は二十山部屋)に所属した元大相撲力士・白露山であり、初の海外出身の兄弟関取である。
来歴

父親はロシアでレスリングスクールの指導者をしていたという[2]。16歳からレスリングを始め、18歳のときに世界ジュニア選手権のフリースタイルで優勝する。ただし、国際レスリング連盟(FILA)のデータベース[3] では、1998年世界ジュニア選手権の勝者に露鵬の名前はない。また、Soslan Feliksovich Boradzovの名前は、上記データベース自体にない。

レスリングには130kg級までしかなく、体重が増えたことからレスリングを諦め、20歳のときから相撲に取り組むようになった。2001年世界相撲選手権大会の重量級で3位の成績を残し、欧州選手権大会では優勝した。

2002年2月に父親の知人から大鵬(第48代横綱)を通して来日。弟は北の湖部屋に所属していた元大相撲力士の白露山で、同部屋に入門するつもりだった[1]。しかし規則で外国人力士は一部屋1人と決まっていたため、自身は3ヶ月間北の湖部屋で過ごし、その後大鵬部屋に移った。四股名の露鵬は元横綱大鵬とロシアの露の字を組み合わせた。

初土俵の2002年5月場所から19連勝するなど出世は順調だった。2004年1月場所に十両に昇進し、2004年9月場所から新入幕を果たしたが、結果的に露鵬は大鵬が育てた最後の幕内力士となった[1]。新入幕の場所では東前頭15枚目で10勝5敗の成績を残し敢闘賞を受賞した。2005年3月場所で11勝、同年11月場所も10勝をマークするなど安定した成績を残していたが、西前頭筆頭で迎えた2005年5月場所では7勝8敗で負け越し三役昇進を逃した。同7月場所は右足関節三角靱帯損傷などの影響もあり、3勝8敗4休に終わった。同9月場所では8勝7敗、同11月場所では弟の白露山とともに10勝5敗、2006年1月場所では東前頭2枚目で9勝6敗と3場所連続で勝ち越した。その後、東小結に昇進し、ロシア出身の力士では初の三役となったが、同3月場所は4勝11敗に終わり、力の差を痛感させられた。

同7月場所では6日目まで4勝2敗とまずまずの成績を残していたが、7日目に千代大海と睨み合いの上口論となり、支度部屋の風呂場ドアのガラスを割るなどして、協会から厳重注意を受けた。その後カメラマン2人に暴行し3日間の出場停止処分を受けたが(詳細は後述)、復帰した11日目の琴奨菊戦で勝利し、その後も好調を維持、8勝5敗2休と勝ち越した。同9月場所は西前頭筆頭で迎え魁皇・琴欧州・千代大海・栃東の対戦した4大関全員に勝ち(白鵬との対戦は組まれず)10勝5敗の好成績を残したため、同11月場所で小結復帰を果たし8勝7敗ながらも勝ち越し成長した事を示した。その場所では、3組の兄弟力士(露鵬・白露山、安壮富士安美錦北桜豊桜)が幕内に在位するという大相撲史上初めてのことが起きた。しかし、翌2007年1月場所は同じ小結で3勝12敗と大きく負け越し、番付を西前頭7枚目まで下げた。同年3月場所も、千秋楽に負け越した。しかし、翌5月場所では10勝5敗と勝ち越し、再び上位と当たる番付にもどった。翌7月場所は3日目までに3連勝していたものの、怪我により翌日から休場。この休場により対戦相手の朝青龍は初めて不戦勝となった。

2008年9月2日日本相撲協会は十両以上の関取力士を対象にして実施した簡易キットによる抜き打ち尿検査において、露鵬と白露山兄弟から大麻の陽性反応が検出されたことを発表した[4]


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