露口茂
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つゆぐち しげる
露口 茂

本名露口 茂
生年月日 (1932-04-08) 1932年4月8日(92歳)
出生地 日本東京府東京市
身長175cm
血液型B型
職業俳優
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1955年 - 1995年
配偶者あり(娘1人)
主な作品
テレビドラマ
水戸黄門』第一部
繭子ひとり
太陽にほえろ!
国盗り物語
風と雲と虹と
江戸の旋風シリーズ
終着駅シリーズ』(第1作 - 第4作)映画
赤い殺意
人間蒸発
ええじゃないか
くノ一忍法
くノ一化粧
霧の旗
耳をすませば』アテレコ
インベーダー
シャーロック・ホームズの冒険

 受賞
第12回ホワイトブロンズ賞助演男優賞
女のみづうみ』(1966年)
四畳半物語 娼婦しの』(1966年)

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露口 茂(つゆぐち しげる、1932年昭和7年〉4月8日[1] - )は、日本の俳優[2]東京府東京市生まれ(愛媛県[1] 育ち)。2024年現在は俳優業から引退状態にある[3]
来歴
生い立ち

身長175cm、血液型B型[4]。愛称は露さん[注 1][5]、露口ちゃん[6]

現在の東京都で生まれるが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、同所で育つ[4]愛媛県立松山東高等学校卒業[2]。一学年下には俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいる。高校時代は水泳、陸上やラグビー(ポジションはウイング[7])もやり、バスケットボール部で国体代表候補になるほどの腕前であった[7][8]愛媛大学文理学部[9]人文学科甲(文学課程英語・英文学専攻)に通いながら[4]、NHK松山放送劇団の劇団員として主にラジオドラマ(オーディオドラマ)などで活動した[2][10]
俳優座研究所時代

先輩に誘われて愛媛大学を2年で中退[注 2][11]1955年劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所に第7期生[1] として入所[2][12]井川比佐志田中邦衛藤岡重慶山本學らと同期となった[13]。同期の田中邦衛とポスター張りなどのアルバイトをする[14]。田中邦衛は『週刊文春』2001年5月31日号の阿川佐和子との対談の中で露口について、「露さんは俳優座養成所の女子生徒みんなに『露口さん、おリンゴ食べる?』なんて言われて、俺たちは『なぁ?にが、おリンゴだよ』なんて言って(笑)」とエピソードを語っている。1957年にNHKのテレビドラマでデビュー、1958年俳優座養成所を卒業、「劇団新人会[1] に入団[2]
初期 (個性派の性格俳優としての活躍)

1959年古川卓巳監督の日活映画『逃亡者』で映画デビューを果たし、同年には映画『女子大学生 私は勝負する』にも出演したが、劇中の水着のシーンに問題があるとして、たった一日で上映が打ち切られた[15]。その後、劇団新人会を退団して1960年小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場」[16][1][注 3] を旗揚げに参加[12]、1962年には今村昌平作、演出、脚本の舞台「パラジ?神々と豚々」に北村和夫らと共に出演した[17]1971年に劇団俳優小劇場は解散。後に田村企画所属(共に劇団俳優小劇場に在籍して、『木曽街道いそぎ旅』で共演の山口崇、『太陽にほえろ!』でボンを演じた宮内淳と同事務所[18][4][19] となり、その後、露口茂事務所[1][20] を創立した(のちに閉鎖[3])。

舞台を中心に活動する一方、山田洋次監督の『霧の旗』、今村昌平監督作品、日活映画などやテレビドラマで、悪役、犯人役、好青年まで幅広く演じる、個性派の性格俳優として売れっ子になった[2][注 4]

1964年:今村昌平監督『赤い殺意』に出演、主演の春川ますみ演じる人妻を強姦し、やがて心臓病で死ぬアクの強い役を好演、一躍注目された[2]。同年の中島貞夫監督の映画『くノ一化粧』では主演を務めた[21][22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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