霧島酒造
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「黒霧島」はこの項目へ転送されています。東海オンエアのメンバーについては「ゆめまる」をご覧ください。

霧島酒造株式会社
KIRISHIMA SHUZO Co.,Ltd.本社増設工場(宮崎県都城市)
種類株式会社
市場情報非上場
略称霧島酒造
本社所在地 日本
885-8588
宮崎県都城市下川東4丁目28号1番
設立1916年5月
業種食料品
法人番号3350001012675
事業内容本格焼酎製造および販売
クラフトビール製造および販売(レストラン事業)
代表者代表取締役社長 江夏順行
資本金300万円(霧島酒造(株)のみ。親会社の霧島ホールディングス(株)は2,289万円。)
売上高625億35百万円(2020年3月期)
営業利益53億59百万円(2020年3月期)
経常利益52億81百万円(2020年3月期)
純利益36億81百万円(2020年3月期)
従業員数583名(2019年4月時点)
決算期3月31日
主要株主霧島ホールディングス株式会社
関係する人物江夏吉助(創業者)
江夏順吉(2代目社長)
外部リンクhttps://www.kirishima.co.jp/
特記事項:持株会社制移行に伴い、2015年4月1日に「霧島ホールディングス株式会社」に社名変更
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黒霧島(くろきりしま)

霧島酒造株式会社(きりしましゅぞう)は、宮崎県都城市に本社及び工場を置く、日本酒造業者。企業スローガンは「品質をときめきに」。
概要

おもに本格焼酎製造および販売、クラフトビール製造および販売(レストラン事業)を行っている。

社名及び銘柄の「霧島」の由来は、宮崎県と鹿児島県の県境にそびえる霧島山から付けられた。

1916年大正5年)、創業者の.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}江夏(えなつ)吉助(きちすけ)が都城市で芋焼酎の製造を始めたのが、会社の起源である。

1955年昭和30年)、工場近くで掘り当てた地下水を「霧島裂罅水[1](きりしまれっかすい)」と命名し、それ以降は一貫して「霧島裂罅水」を焼酎の仕込み水や割水はもちろん、製造のすべての工程で使用している。

乙類焼酎」を「本格焼酎」の名称・表示にすることを提案したのは、2代目社長・江夏順吉(えなつ じゅんきち 1915-1996)で、1957年(昭和32年)に熊本県で開かれた「九州旧式焼酎協議会」で「本格焼酎」の名称使用を提唱した。そして、1962年(昭和37年)の大蔵省令により法的にも「本格焼酎」の呼称が正式に認められた。

江夏順吉は地方酒造会社の跡継ぎながら、東京帝国大学(現・東京大学)工学部で応用化学を学んだ学者肌の人物でもあり、自ら焼酎のブレンディングや蒸留機の改良などに取り組んだ。順吉の死去で跡を継いだ3代目社長の江夏順行の経営体制下では、順吉時代の高品質路線を継承しつつ、芋焼酎の臭みを押さえた新商品「黒霧島」の開発と営業拡販に努め、2000年代の焼酎ブーム期にも着実な事業拡大を継続した。その結果、2012年には売上高が初めて500億円超を達成し、長らく本格焼酎業界で首位にあった麦焼酎「いいちこ」で知られる三和酒類を抜いて、本格焼酎メーカーで売上高日本一となっている。

2014年9月1日より、焼酎粕を醗酵させ、バイオガス発電事業を行っている[2][3]

2015年(平成27年)4月1日、「霧島ホールディングス株式会社」(きりしまホールディングス)を設立して持株会社制に移行、霧島酒造の管理業務は霧島HDが行うようになった[4]
沿革

1916年大正5年)5月 - 江夏吉助が宮崎県都城市で川東江夏商店を創業。本格焼酎の製造を始める。

1933年昭和8年)8月 - 「霧島」を商標登録。

1949年(昭和24年)4月 - 霧島酒造株式会社に改組。江夏順吉が社長に就任。

1957年(昭和32年)- 九州旧式焼酎協議会にて、江夏順吉が「本格焼酎」という呼称を提唱。

1971年(昭和46年)9月 - 販売量の増加に伴い、工場を生産能力4万石に増設。

1983年(昭和58年)5月 - 東京支店を開設。

1985年(昭和60年)3月 - 大阪支店を開設。

1986年(昭和61年)

4月 - 紙パック製の「霧島」を発売。

10月 - 志比田工場が落成。


1988年(昭和63年)4月 - 福岡支店を開設。

1996年平成8年)

4月 - 江夏順行が社長に就任。

12月 - 宮崎支店を開設。


1998年(平成10年)7月 - 霧島ファクトリーガーデン内に「霧の蔵ブルワリー」をオープン。

1999年(平成11年)5月 - 本格芋焼酎「黒霧島」を発売。

2003年(平成15年)10月 - 本格芋焼酎「赤霧島」を発売。

2006年(平成18年)9月 - 志比田増設工場が落成。

2011年(平成23年)11月 - 本社増設工場が落成。

2014年(平成26年)

6月12日 - 志比田工場の貯酒タンク(1基)が爆発[5]

7月17日 - 宮崎県総合運動公園および同公園内にある5施設(サンマリンスタジアムなど)の施設命名権(ネーミングライツ)を獲得、10月1日より5年間を予定[6][7][8][9]


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