霞ヶ関カンツリー倶楽部
霞ヶ関カンツリー倶楽部の空中写真。
赤いラインで囲んだ内側が霞ヶ関カンツリー倶楽部。
隣接する下部のゴルフ場は東京ゴルフ倶楽部。
1989年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
OUTIN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
14399103168
24372114436
34426124463
43200134377
55590145571
64360154393
73194163185
85569174323
94445184436
計363555計353352
西コース
OUTIN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
14408105542
24341113205
35502124381
43163135513
54372144361
65557155552
73224163144
84403174380
94414184425
計363384計373503
その他
公式サイト霞ヶ関カンツリー倶楽部
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霞ヶ関カンツリー倶楽部(かすみがせきカンツリーくらぶ)は、埼玉県の川越市笠幡にある名門ゴルフ場である。
概要が、入間郡霞ヶ関村(1955年に川越市へ編入)に自らが設立した埼玉育児院の土地の一部を提供し、地元の人々の協力とゴルフ界草分けの人々の努力で誕生した90年以上の歴史を誇る伝統コースである。埼玉県最初のゴルフ場でもある。
「東コース」の設計は藤田欽哉、赤星四郎。1930年(昭和5年)にはゴルフコースの世界的名設計者のチャールズ・H・アリソンの手で改造された。1932年(昭和7年)6月12日には「西コース」も開場、日本で最初に36ホールを持つゴルフ場となる。戦後、アメリカ軍に接収されるが復旧した。西コースは井上誠一の設計。
1957年(昭和32年)、日本で初めて開催されたゴルフのカナダカップが東コースを舞台に行われ一躍内外に有名になる。日本国内で開催される初のゴルフの国際大会であり、日本プロゴルフ協会が発足した直後でもあり、日本選手の上位進出は望み薄であったが、サム・スニードやピーター・トムソンなど世界各国の強豪を2日目に逆転。最終日は2万人近いギャラリーが詰め掛け、ゴルフが史上初めてテレビ中継された(日本テレビ)。結果、中村寅吉が個人優勝、中村寅吉と小野光一組が見事に団体優勝を果たし、日本に一躍ゴルフブームが起こった。
日本オープンゴルフ選手権を、1933年(昭和8年)の第7回大会以来、21回大会、60回大会、71回大会、と4度開催。1999年には日本女子オープンゴルフ選手権第32回大会も開催された。1965年と1977年には日本アマチュアゴルフ選手権を、1971年には日本ジュニアゴルフ選手権を、2010年には第2回アジアアマチュア選手権もそれぞれ開催。2014年には日本スポーツマスターズ埼玉大会の会場になった。
2017年11月のドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領の来日では安倍晋三内閣総理大臣とゴルフ外交の舞台となった[1]。 2013年、日本オリンピック委員会加盟団体である日本ゴルフ協会の調査・選考の結果、2020年東京オリンピックで、ゴルフ競技の会場になることが決定した[2]。その後、完全なプライベートクラブ(日曜日は会員であっても女性がプレーすることは許されない)であることから、公益性の観点、オリンピック憲章に明記されている遺産としての価値を日本国民が享受できるのか、などの議論が起きている。大宅映子以下日本ゴルフ改革会議は、同カントリークラブを選定したプロセスの説明が全く不十分である点や、東京からのアクセスの悪さなどを指摘した上で、他の競技会場とも近く、誰もがプレー可能なパブリックコースで、実際に2016年東京オリンピック構想ではゴルフ会場予定地とされていた若洲ゴルフリンクス(若洲海浜公園内)を推す提言を2014年10月にまとめた[3]。
2020年東京五輪