艦歴
計画1941年度(マル急計画)
起工1942年7月6日
進水1943年4月7日
竣工1944年3月31日
喪失1944年11月25日
除籍1945年1月10日
要目(計画)
排水量基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長134.2m
全幅11.6m
吃水4.15m
機関ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力33.0ノット
航続距離18ノットで8,000海里
燃料重油:1,080トン
乗員263名/295名[1]/323名[2]
兵装
(1944年[3])65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装14挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
(九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
爆雷投下軌条2条
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[3])21号電探1基
13号電探1基
水測兵装九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[4]
霜月(しもつき)は[5]、日本海軍の駆逐艦[6]。 一等駆逐艦霜月は[6]秋月型駆逐艦の7番艦である[7]。艦名は陰暦11月の雅称[8]。三菱重工業長崎造船所において、1942年(昭和17年)7月から建造が始まった[9]。本艦建造中の1943年(昭和18年)7月上旬、船体前部を失ったネームシップの秋月[10]が長崎港に到着する[11][12]。同艦の修理を急ぐため、建造中の霜月の艦首を秋月に移植した結果[13]、霜月の完成は1944年(昭和19年)3月31日となった[14]。 竣工後、霜月は訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入され訓練に従事[15]。その後、駆逐隊に所属しないまま小沢機動部隊[16]、続いて第十戦隊に編入され[17]、6月下旬のマリアナ沖海戦に参加した[18]。同年7月15日、姉妹艦冬月と共に第41駆逐隊を新編[19][20]。南方に進出していた霜月は空母神鷹等と共に、ヒ70船団
概要