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「霊」と「魂」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「霊 (曖昧さ回避)」、「魂 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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出典検索?: "霊魂" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年4月)
魂は二人の天使によって天国に連れて行かれた (1878年)、ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画。

霊魂(れいこん、: anima、ギリシア語: Ψυχ?)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの[1]。肉体から離れたり、後も存続することが可能と考えられ[2]、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在[3]人間が生きている間はその体内にあって、生命精神の原動力となっている存在[3]、個人の肉体や精神をつかさどる人格的・非物質的な存在[4]、感覚による認識を超えた永遠の存在[5]と考えられている。
概説

「霊魂」は、とは別に実体として存在すると考えられているものであったり、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるもののことである。

「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせて指している。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している。「#「霊魂」という表現」を参照

宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕方がある。古代エジプトの時代から、人が死ぬと肉体から離れるが、肉体に再び戻って来る、という考えがあった。古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的であった。輪廻転生(転生輪廻)の思想である。「あの世」(霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在している。人間だけでなく、命あるもの全般、動物植物に宿ると考えられたり、さらには鉱物にも霊魂が宿る、とされることもある[5]。霊魂をと同一視することもある[要出典]。「は霊体、は魂」、魂は神魂[要出典]とする、霊魂と心を同一視しない考え方もある。また他方、すでにサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとった。「#宗教などにおける説明」を参照

霊魂は、生きること、死生観の根源的な解釈のための概念の一つともされる。現代では、霊魂を肯定的にとらえることが、生きがい健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている。「#霊魂と死生観・全人的健康」を参照
「霊魂」という表現

「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[5]。また、そこに何かいると五感を超越した感覚(第六感)で感じられるが、物質的な実体としては捉えられない現象や存在聖霊など)のことを指すこともある。

「魂(こん、たましい)」の方は、精神を司る精気を指し、肉体を司る「魄」と対比されている[5][注釈 1]また、人の死に際しては、「魂」は上昇して天に帰し、「魄」は屍が地下に埋葬されるのにともなって地に帰すると考えられた。

よって「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。ただし、通常は、個人の肉体および精神活動を司る人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している[5]。そして人間だけでなく、動物や植物、鉱物にまで拡大して用いられることがある[5]
宗教などにおける説明

多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、しばしば道徳倫理などと結びつけて語られる。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国地獄などに送られるともいわれる。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。
古代エジプト詳細は「古代エジプト人の魂」を参照死者の書』に描かれたオシリスの姿

古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。オシリス死と再生を司る神として尊崇された。自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた[6]

定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって願望を神に伝えたり、動植物の霊と交流したり、病人から苦痛の原因である悪霊を追い出すことや、死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司(魔術師)などがいた[7]

人の魂は五つの部分から成っているとされた(アルファベット表記なら、Ren、Ba、Ka、Sheut、Ibの五つ)[8]。死者のBa(バー)のよりどころとして死者の体をミイラにして保存した。『アニのパピルス』ではバーは人頭を持つ鳥として表現されている[9]

死者のバーが無事冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた[10]。『死者の書』(死者の霊が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。

ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、アク(霊)として永遠の命を生きる、とされた[11]
古代ギリシア哲学

ギリシア語では魂は「プシュケー」といい、語源は気息の音に由来する。またプシュケーには「」という意味もあり、死後の魂のイメージを蝶として表現することもある[9]

プラトンは対話篇において霊魂の働きに着目しつつ探求した。『パイドン』『メノン』においては、永遠の真理(イデア)を認識する方式として想起説を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。プラトンの霊魂不滅説は、後世の新プラトン主義教父哲学キケロスキピオの夢』を介してキリスト教圏にも伝わった。またアリストテレスの著作に『霊魂論』がある。
キリスト教詳細は「霊性 (キリスト教)」および「霊魂消滅説」を参照

旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って預言がなされるという思想があった。エゼキエル書18章4節(口語訳)には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。18章20節(口語訳)でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある。

欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。

ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。
古代インド
ヴェーダ、ウパニシャッド

『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。

後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。

霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。
サンジャヤ・ベーラッティプッタ

仏教興隆期のインドのサンジャヤ・ベーラッティプッタ来世に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、不可知論の立場をとった。このような態度はゴータマ・ブッダの「無記」の立場と通じあう点がある、とされる[12]
初期仏教

ブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている[13]。俗に言われる霊魂とは全く異なる。
中国

道教では、魂魄すなわち「魂(こん、たましい)」と「魄(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄はの思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。

中国の民間信仰では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び怒り哀しみ、懼れ、、惡しみ、欲望からなる。また、?屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる(三魂は「胎光、爽霊、幽精」「主魂、覚魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺」とされることもある)。

六朝時代には、道教と仏教の対立のなかで、霊魂にあたる「」の不滅をめぐる神滅不滅論争(中国語版)が起きた[14]明末には、イエズス会宣教師が中国と西洋の霊魂論を交えて論じた[15][16]
日本
日本での仏教

上記の初期仏教に関する解説とは異なり、ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定した[17]、ともされる。近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い[18]

仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。

各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%[19]
日本の古神道(民間信仰)、神道

古神道では、森羅万象マナが宿るとする。南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。

優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。


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