霊柩車
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日本の宮型霊柩車宮型霊柩車のリアスタイル洋型霊柩車の例

霊柩車(れいきゅうしゃ、英語: hearse または funeral car,funeral coach)とは、葬送において遺体を移動させるために用いられる車両イギリスの霊柩馬車に起源があるとされ、手引き車、馬車、自動車のほか、鉄道車両にも見られる。

日本では神道仏教建築様式を模した「宮型霊柩車」と呼ばれる独特の霊柩自動車が用いられる[1]。「柩」が常用漢字に含まれないため、日本の法令上は霊きゅう自動車と表記される。
欧米

欧米キリスト教圏では参列者が最後まで見送れるように、巨大なリアクオーターウインドウとバックウインドウを取り付けるなど、棺をあえて車外から見えるようにしたタイプも多い。キリスト教では「死のケガレ」といったタブー概念はなく、死は「天国への凱旋」と捉えられる。また教会での葬儀には誰でもオープンに参加でき、親族以外にも教会の一般信徒が手伝いなどをする。こうした宗教による死生観の違いが霊柩車の形態にも影響を与えている。
英国

イギリスの霊柩馬車に起源があるとされる[1]

イギリスのシンプルな霊柩馬車の例。

19世紀末製のイギリスの霊柩馬車の例。

20世紀初頭アルゼンチンブエノス・アイレスにおける霊柩馬車。

20世紀初頭のイギリスの霊柩馬車の例。

スウェーデン王妃ルイーズ・マウントバッテンの葬列の霊柩馬車。1965年3年13日。
イギリスの霊柩車の一例アメリカの霊柩車の一例

スコットランド地方ではスコットランド国教会の教会墓地とは別に、1840年代に民間共同墓地が開設されるようになり、従来の教会墓地に比べて公衆衛生への十分な配慮や個人所有の確保などが図られ、墓の提供に加えて規格化された葬送として霊柩馬車が採用されるようになった[2]

それまでは、水平にした梯子を乗せて運ぶ梯子葬列 (spoke funeral) 、棺を肩まで担ぎ上げて運ぶ肩葬列 (shoulder funeral) といった徒歩葬列が一般的であったが、民間共同墓地は霊柩馬車の使用を提案するようになり、葬列の移動時間は短縮された[2]

自動車が用いられるようになると、霊柩馬車は姿を消していったが、葬儀用に黒馬が引く伝統的な馬車が再び復活を果たしつつある[3]。現代でも葬儀社に依頼すれば、2頭立て御者付きの伝統的な霊柩馬車を手配してもらうことができ、根強い需要がある[4]

2021年に死去したエディンバラ公フィリップの葬儀では、生前、フィリップ自らが改造を指示していたランドローバー・ディフェンダーが使用された(画像リンク)[5]。ピックアップ・トラック形で荷台部分が棺室になっている。
米国

米国の葬儀は、一般に教会あるいは葬儀社のホールにて執り行われることが多い。葬儀後に墓地が葬儀場から遠いときは棺を霊柩車で移動する[6]。また、葬列の巡行が求められる際にも霊柩車が仕立てられる。

伝統的には黒馬の二頭立てだが近年は必ずしも拘らない。2018年、イギリス、マンチェスターにて

フィリピンにおける霊柩馬車の例。2015年

国葬にされたレーガン大統領の霊柩馬車。2004年、ワシントンDCにて

日本日本の霊柩車
上:棺車。2002年12月20日に三重県で撮影。
墓地併設の火葬炉のわきに置かれていたもの。この棺車は比較的素朴なものだが、近隣では手すり様の飾りが付いたものや、リヤカーのようにゴムタイヤを使ったものなども存在した。
下:宮型霊柩車。2003年10月20日に関東地方で撮影。

日本では遺体を納めたを輿に乗せ、人が担いで運んでいた[7]輿の屋根は唐破風で、後の宮型霊柩車の原点となっている[7]

その後、棺は大八車様のものに乗せて運ばれるようになり、これは「棺車」と呼ばれた。「棺車」には二方破風の屋根が付けられ、側面には花鳥等の彫刻が施されるなど、装飾や形状は後の宮型霊柩車に近いものであった[7]

大正天皇崩御の際の轜車(貴人用の霊柩車)。動力は牛

樋口嘉穂中尉の葬儀における霊柩馬車

大正から昭和初期に使われていた霊柩車。田原市民俗資料館 所蔵

その後、トラックの荷台に前述の輿のようなものを乗せて運ぶようになり、さらにそれが自動車と一体化した。21世紀初頭の日本で一般的なスタイルは、大阪にあった「駕友葬祭」という葬儀屋を経営する鈴木勇太郎によって1917年(大正6年)に考案された。その後はトラックシャーシ同様に重い架装に耐えられるが、より格式のある高級乗用車のシャーシが用いられるようになった。1921年(大正10年)9月4日名古屋市にある一柳葬具店が、新愛知新聞に外国製自動車を改造した霊柩車の広告を掲載した[8]

昭和初期は主にアメリカ製高級車パッカードを改造したものが多かったが、それは旧型の払い下げパッカードであった。戦前日本において上流層の自家用や官公庁の公用車として同車は好んで用いられ、ボディが老朽化した後も丈夫で高品質なエンジンとシャシは再利用に耐えたことから、霊柩車のベース車として多用された。イギリスでは同様な理由で最高級車ロールス・ロイス中古車が霊柩車に改造されて使用される事例が多く、「誰でもいつかはロールス・ロイスに乗れる」(=死んで棺に入った時)などと揶揄された。アメリカ車日本車欧州車に比べて概して大型であり、比較的遅い時期までボディとは独立したフレームを備えた旧い設計を踏襲していたことと、エンジンのトルクが大きいこともあり、重く大きな霊柩車ボディを載せやすく、日本では1990年代まで改造のベース車に好んで用いられていた。

2015年現在、日本では約6,000台が登録され、年間500台が更新されている。全国に約10社の改造メーカーがあり、特に手の込んだ改造ができる会社は6社である。そのほか、ワゴン車を改造したものや、湯灌設備を搭載したものも造られているが、すべてオーダーメイドである。光岡自動車は乗用車製造で培ったノウハウを応用し、個性的なフロントマスクのものを開発・販売している。

1990年代まではアメリカ製の「バン型」を輸入し使用することが多かったが、近年は国産車を改造したものが普及し、光岡自動車カワキタのようにアジア圏へ輸出するメーカーもある。


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