霊山寺_(鳴門市)
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霊山寺
山門
所在地徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度9分35.29秒 東経134度30分9.33秒 / 北緯34.1598028度 東経134.5025917度 / 34.1598028; 134.5025917 (霊山寺)座標: 北緯34度9分35.29秒 東経134度30分9.33秒 / 北緯34.1598028度 東経134.5025917度 / 34.1598028; 134.5025917 (霊山寺)
山号竺和山
院号一乗院
宗派高野山真言宗
寺格別格本山
本尊釈迦如来
創建年伝・天平年間(729年 ? 749年
開山伝・行基
開基伝・聖武天皇(勅願)
中興年正保年間(1644年 ? 1648年
正式名竺和山 一乗院 霊山寺
別称一番さん
札所等四国八十八箇所第1番
四国霊場十三佛第1番
法人番号7480005003514
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}霊山寺徳島市徳島県における位置
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発心の門

霊山寺(りょうぜんじ)は徳島県鳴門市にある高野山真言宗寺院山号は竺和山(じくわさん)、院号は一乗院(いちじょういん)と号す。本尊釈迦如来四国八十八箇所第一番札所とくしま88景に選定されている。2015年4月24日、当寺は「四国遍路」-回遊型巡礼路と独自の巡礼文化- の構成文化財として、日本遺産に認定されており、四国八十八箇所の88の寺院と阿波遍路道・土佐遍路道・伊予遍路道・讃岐遍路道で構成された文化財の一つである。

本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく

ご詠歌:霊山(りょうぜん)の 釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり

歴史

寺伝によれば奈良時代天平年間(729年 ? 749年)に聖武天皇勅願により、行基によって開創された[1]

弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け、持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っている[2]。また、本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像であり、2014年平成26年)に4か月間開帳された[1]

室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えたが、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩蜂須賀光隆によってようやく再興されたが1891年明治24年)の出火で、本堂と多宝塔以外を再び焼失したが、その後の努力で往時の姿を取り戻し第1番札所としてふさわしい景観になっている[1]
札所番号

寺伝その他の言い伝えでは空海が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海もに渡る前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。実在の人物としての空海は、弘仁年間には都で密教の普及に努めていた。

江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んになると、四国を修行した僧などが案内書を出版するようになる。そのうちの一人である真念が「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」を貞享4年(1687年)に出版した。現存する書物の中で、各寺に札所番号を記したのはこの本が最も古いとされている。当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするルートがあり、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第1番札所としたと推測される。なお、その本の出版より34年前に巡拝した澄禅は「四国遍路日記」に、すでに当時の阿波国の中心は吉野川の北岸から南岸に移っていて、和歌山から徳島城の近くに上陸すると井戸寺がいちばん近い札所寺になっていたにもかかわらず、霊山寺から始めるのが通例であると書かれていることから、真念より以前すでに番号が付いていた可能性も否定できない。だが、真念の出版の2年後に出された真念と親交のあった寂本の「四國?禮霊場記」には番号は記されて無くしかも善通寺から始まっている。また真念より約10年後に出された「奉納四国中遍路之日記」は霊山寺から始まりほぼ同じ順番であるが、この日記で現在と順番が違っている部分は、59国分寺 → 62一の宮 → 61香園寺 → 60横峰寺 → 64石づち山 → 63吉祥寺 → 65三角寺と記されているが、番号は記されてない。
境内本堂大師堂

山門(仁王門) - 入母屋造楼門。

本堂 - 拝殿に奥殿が増築された構造で、拝殿の中央天井には龍が描かれ多くの吊り灯篭が下がっている。拝殿右隅上には地蔵菩薩三尊像が、左隅には釈迦像、その上には赤い賓頭盧尊者坐像(向かって左)とその右に修行大師姿の納札大師(のうさつだいし)[3]がいる。拝殿と奥殿の繋ぎ部分は団体専用予約席になっていて、その天井には星座が光る。秘仏本尊の厨子の前には仏舎利を納めた小厨子がある。

大師堂 - 全身漆黒の大師像が拝顔できる。

多宝塔 - 五智如来像を安置している。応永年間(1394年 ? 1428年)の建造。

十三仏堂 - 不動明王堂に続く十二仏堂。

紀州接待所 - 紀州有田接待講が文政元年(1828年)より衰退期もあったが現在まで行われている。今は春の4日間のみ。山門を入ってすぐ右にある[4]

縁結び観音立像(石像):山門を入って左の手水舎の背後に立ち、水かけ観音として様々な縁にご利益がある。

鐘楼堂

大池 - 鯉が泳ぐ極楽を象った放生池(ほうじょうち)[注釈 1]で大師堂の前にあり橋がかかっていて、池の中の6体の童子が地蔵菩薩を祈る。

小池 - 小さい滝がある泉水(しみず)池で大師堂に向かって左にあり、小さい阿弥陀如来が中に坐する。明治の庭の要素をなす。

明治の庭 - 本堂に向かって右前にある小さい庭。

庭園 - 境内の北東にある大きな庭、居上真人[注釈 2]製作による孫悟空のモニュメント作品10点が点在。

句碑歌碑 - 仁王門の右前に木村閑流の「うたた寝のときも手に持つ遍路杖」の句碑があり、多宝塔の右前に木村閑流の「南無大師遍照金剛田のみま寸 〇手乃山の心さ〇花」の歌碑がある。

(参照)献灯 - 原爆の火 。1990年8月6日より当境内にあったあったが、近年、東林院へ移設された。

売店および納経所 - 境内の東側の駐車場横にあり、個人・団体全ての納経を扱う。また、賞状式の満願之証を授けてもらえる(小は1000円2名連名は1500円、大は1名も2名連名も2000円)。

境内の東側の駐車場から「発心の門」をくぐると山門前に出る。山門を入り、先に進むと左手に多宝塔、右手の池の先に大師堂があり、正面の奥に本堂がある。本堂に向かって左に十三仏の最初の不動明王坐像が祀られ、その左に続く十二仏が立姿で並んでいる。足が不自由な場合など本堂への石段を登るのが困難な場合は、本堂西側(料理旅館の前)の入り口から本堂へ直接行くことができる。


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