この項目では、福島県伊達市周辺にある霊山城について説明しています。京都府京都市東山区周辺にある霊山城については「霊山城 (山城国)」をご覧ください。
logo霊山城
(福島県)
城跡のある霊山
城郭構造山城
築城主北畠顕家
築城年1337年(延元2年/建武4年)
主な城主北畠顕家
廃城年応永年間
遺構曲輪、建物礎石等
指定文化財国の史跡・名勝「霊山」
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度46分11.9秒 東経140度41分03.3秒 / 北緯37.769972度 東経140.684250度 / 37.769972; 140.684250
霊山城(りょうぜんじょう)は、陸奥国伊達郡(福島県伊達市霊山地域)[1]霊山の山頂付近にあった南北朝時代の日本の城。城のある霊山全域が国指定史跡および名勝[2]。
概要(現在は山麓に移転)が建立されて栄えていたが、1337年2月9日(延元2年/建武4年1月8日)に鎮守府将軍北畠顕家が広橋経泰らと図って、陸奥太守義良親王を多賀国府から霊山に移して山頂付近に「国司館」を設置、国衙機能をここに移して北朝勢力に対抗したことに由来している。顕家らは伊達行朝・結城宗広ら奥羽地方の南朝勢力と連携しながら、同年9月6日(旧暦8月11日)に親王を奉じて上洛を開始するまで拠点とした。その後も現地に残された南朝方将兵によって守備されていたが、1347年(正平2年/貞和2年)に北朝方の奥州管領吉良貞家によって攻略され、その後も何度か攻防戦が行われたものの、応永年間には廃城となった。
近代以後、何度か調査され、1980年(昭和55年)に大規模な発掘調査が行われた。その結果、建物の礎石跡などの遺構の他、宋銭や古瀬戸など当時の活動の後を示す物が発掘されている。
脚注[脚注の使い方]^ ただし、一部が同国宇多郡(現在の福島県相馬市)にかかる。
^ 「霊山」 伊達市公式HP
参考文献
『日本歴史地名大系 7 福島県の地名』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-49007-7 P703-704
大石直正「霊山城」(『国史大辞典 14』(吉川弘文館、1993年) ISBN 978-4-642-00514-2
遠藤巌「霊山城」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2