震生湖(しんせいこ)は、大磯丘陵北部、神奈川県の秦野市と中井町にまたがる堰止湖。
2021年3月に国の登録記念物に登録された[1][2]。 1923年(大正12年)9月1日の大正関東地震(関東大震災)の際に形成された。地震動によって付近の丘陵が200mにわたって崩落し、市木沢(いちきさわ)最上部をせき止めたことから、その川筋と窪地が湖となったもの[3]。面積は13,000 m2、周囲約1,000m、水深は、平均4m、最大10m[3]。流入河川・流出河川ともに存在せず、地下水脈で周囲の水系とつながっている。 湖東側の絶壁が当時の崩壊した跡とされている[3]。滑りを生じた土壌は約6万6千年前に堆積した東京軽石層[4]で、風化が進行し粘土状鉱物のハロイサイトに変化した面が滑面となった[5]。 震災では付近の峰坂でも道路の崩壊が発生し、下校中の小学生2名が行方不明となった。湖の入口の道路沿い(バス停「震生湖」前)には供養塔が建立されている[3][6][7]。 2023年、神奈川県は関東大震災遺構として30か所を選定し、うち一つに震生湖も選ばれた[8]。 流入河川が無いため工場排水や家庭排水の影響は受けない[9]。1980年代の調査で、雨水(大気)由来のトルエン、ベンゼン、アセトン、四塩化炭素などの揮発性有機化合物が検出されたと報告されている[9]。 コイ・ヘラブナ・ブラックバス・ブルーギル・オイカワ・アメリカザリガニ・ミドリガメなど 周囲は震生湖公園として整備され、休日になるとハイキングや釣りをする人で賑わう。周辺はソメイヨシノが植えられており花の名所としても知られる[3]。 湖畔には、東京帝国大学地震研究所の物理学者寺田寅彦が1930年に当地に調査に訪れた際に詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」の句碑も建っている。 市営駐車場がバス停近くの道路沿いと湖畔の2か所に整備されている。湖畔の駐車場はかつては周辺の太陽光発電施設を所有する企業の私道を通った先にあり、2016年には地権者が私道を通行止めにしたために駐車場の利用が禁止となるトラブルが発生したが[10]、地権者が私道を市に寄付することで和解した[11]。 震生湖の名称は、1924年(大正13年)に地元の有志が名付けたとされている[2]。 震生湖の名については「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した(とされる)寺田寅彦が名付けたとする説もあるが、彼が東京帝国大学地震研究所の所員としてこの地に調査に来たのは1930年であり、1928年発行の「神奈川県中郡南秦野村郷土誌」には既に震生湖の名があり、それ以前に地元の人たちの創意で命名され言い伝えられてきたと考えられている[12]。
地理
水質
生息する生物
利用湖畔の寺田寅彦歌碑
名前の由来
交通
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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