メッキと呼ばれる魚については「ギンガメアジ」をご覧ください。
めっき(鍍、英: plating[1])は、表面処理の一種で、金属または非金属の材料の表面に金属の薄膜を被覆すること[2]。
金属の表面に他の金属を圧延して貼り合わせる技術はクラッド
(英語版)といい区別する[2]。「メッキ」と片仮名で表記されることも少なくないため、外来語のように受け取られることもあるが、和製漢語とされる滅金(めっきん)に由来する語である[2]。鍍金(ときん、めっき)ともいう[2]。 めっきには電気めっきや溶融めっきなど様々な方法があり目的や用途によって使い分けられる[2]。めっき処理の目的には、装飾、防蝕、表面硬化、機能性付与(機械的・電気的・磁気的・光学的特性)などがある[3]。また、代表的なめっき製品にトタンやブリキがある。トタンは鉄に亜鉛をめっきしたもの、ブリキは鉄にスズをめっきしたものである。鉄等の母材に亜鉛等のイオン化傾向の大きい金属をめっきすることで電位差によって、スズ等のイオン化傾向の小さい金属をめっきする事で皮膜によって母材の腐食を防ぐ効果がある。 導電性の素材はめっき液に浸けて陰極につなぐことによってめっきする。プラスチック等の不導体にめっきを施す場合には、表面に導電化処理を施してからめっき液に浸けて電解したり、真空蒸着やスパッタリングによってめっきを施す。 日本語のめっきの語源は滅金(めっきん)に由来する[2]。例えば東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)では、金を水銀に溶かしてアマルガム化し、これを塗布してから加熱して水銀を蒸発させて金だけを残す方法(塗金という)が行われた[2]。アマルガム化の際に金は水銀中に溶かされてしまうことから滅金と呼ばれた[2]。なお、金属膜を被せる技術を鍍金(ときん)という[2]。 なお、日本語では貴金属(特に金)でめっきした卑金属が外見ほどの価値を持たない点から、比喩として、今まで実力があるように見えていた人物が実はそうではなかったと判明した場合や重大な失敗をした場合などに、「めっきがはげた」という表現がしばしば用いられる。関連する類似の表現として、美術品の制作などで、元はあまり価値のない下地素材に金箔などで装飾を施して価値のあるものを作ることから生じた比喩として、経歴の見た目をよくするための行為などを「箔をつける」と呼ぶことがある。 世界最古のめっきが行なわれた時代は、紀元前1500年頃にはアッシリアで錫めっきが行われていたとの記録があるとされる[2]他、現在のイラクの首都バグダッド郊外から出土したバグダッド電池を根拠として、2000年前のパルティア人によるものとする説、1700年前のスキタイ人によるものとする説など様々である[4]。 日本へは仏教とともに技術が伝来したといわれている[2]。1871年に偶然発見された仁徳天皇陵の埋葬品である甲冑(4?5世紀頃)が日本最古である可能性(埋葬者は仁徳天皇と確定していない)があるが、甲冑は埋め直しが行なわれたため現存していない[5]。 近代日本においては薩摩藩主島津斉彬が初めて電気めっきを試みたとされ[2]、1855年に初めて甲冑金具に行ったのが最初と伝えられる。1871年に宮崎柳条が「西洋百工新書」を出版しているが、その中に電気めっきの工程が紹介されている[6]。 1937年(昭和13年)8月20日、大蔵省は戦時経済体制の強化を図るために金使用規則を改正。金めっきを含む金製品の製造は大蔵大臣の許可を要するものとなった[7]。 めっきの方法には、電気めっき、溶融めっき、無電解めっき、真空めっき(PVD)、気相めっき(CVD)などがある[2]。 電気めっきとは外部電源を用いて被めっき物の表面に金属イオンの還元反応を生じさせて金属を析出させる方法である[3]。電気めっきの用途には、装飾、防蝕(さび止めや塗装の下地など)、表面硬化、摩擦の緩和、ゴム等との接着、浸炭や窒化の防止、寸法を合わせるための肉盛り、表面模写、着色などがある[8]。 電気めっきには、めっき可能な金属が多い、厚さの調整が容易である、外観の美しい金属光沢を得られる、被めっき物の物性を損ないにくいといった特徴がある[2]。
概要
歴史
成膜機構による分類
電気めっき(電解めっき、電鍍)詳細は「電気めっき」を参照
特徴
種類
白金めっき
金めっき(鍍金
青化金浴
酸性金浴
銀めっき(鍍銀)
銅めっき(鍍銅
青化銅浴
硫酸銅浴
ピロ燐酸銅浴
亜鉛めっき、鍍?(としん)
青化浴
酸性浴
ジンケート浴一般的に各浴種ともめっき後 以下の化成処理(6価クロムを使用した場合のみクロメート処理)を施す。