電波少年に毛が生えた_最後の聖戦
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電波少年に毛が生えた
最後の聖戦
ジャンルバラエティ番組
企画土屋敏男(演出兼務)
構成海老克哉、小山薫堂
中野俊成そーたに
田中直人、都築浩
鮫肌文殊、三俣麻弥
川中宏子、今関ちなつ
ディレクター香川春太郎、〆谷浩斗
飯島冬貴、高谷和男
川邊昭宏古立善之
鈴木淳一、松橋晃弘
近藤祐治郎、相田貴史
正久仁
演出土屋敏男(企画兼務)
出演者松本明子
チューヤン
製作
チーフ・プロデューサー吉田真
プロデューサー鈴木雅人、関根崇史
長濱薫、池田秀一
西出康成、菱沼永司
編集須藤康則
製作日本テレビ

放送
放送国・地域 日本
放送期間2002年10月12日 - 2003年1月11日
放送時間土曜 22:00 - 22:54
放送分54分
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『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』(でんぱしょうねんにけがはえた さいごのせいせん)は、2002年10月12日から2003年1月11日まで、日本テレビ系列で毎週土曜22:00 - 22:54(JST)に放送されたバラエティ番組
概要

それまで日曜22時台後半(初期は『笑撃的電影箱』枠)にて放送されていた「電波少年シリーズ」(『進め!電波少年』および『進ぬ!電波少年』)の後継番組であり、『THE夜もヒッパレ』の後番組として土曜22時台に移動するのに伴い、1時間枠の番組としてリニューアルされた。「1クール(3か月)の平均視聴率が13%に載らなければ終了する」、という厳しい公約を掲げ開始した本番組ではあったが、番組企画のマンネリ化や、相次ぐ不祥事(後述)でモラルが問われるという状況は『進ぬ!』の後期から依然変わっておらず、視聴率においては目標達成はおろか、1桁台を記録する回も出るなど低迷し、公約通り1クールで終了する運びとなった。

2003年1月11日放送分の最終回では、『電波少年に毛が生えようが、抜けようが強引にでも全部ゴールさせるぞスペシャル』と題し、放送枠を2時間に拡大しての生放送が行われた。オープニングでは、司会の松本明子チューヤンに扮したダウンタウン松本人志がゲストで出演し[注 1]、進行中であった企画の最終回などが放送され、3か月という短い放送期間であったため無理やりゴールという形にはしたものの、いずれも満足いく形でゴールすることはできなかった。チューヤンは、電波少年で唯一行っていない大陸・南極大陸を目指し[注 2]、最後には松本が番組に対する思いと関わった人物への感謝を涙ながらに語った後、中継先で残りのネタを釣り上げていたカンカラの杉やんと入れ替わったチューヤンが別れを告げ、番組を締め括った。

本番組の終了をもって、1992年7月から約11年間続いた「電波少年シリーズ」にもピリオドが打たれたが、後番組でもある『雲と波と少年と』の早期終了により、番組終了から2か月後の2003年3月1日と8日の2週にわたり、『電波少年 恥ずかしながら帰って参りました…終ったから言ってまえ 涙の全ゴールシーン&裏話&秘話』と題された総集編スペシャルが、次番組開始までのつなぎ番組として放送された。終了後、土屋は「また、電波少年みたいな番組をやりたいね。」と後に語っている。
主な企画
ボスはホームレス、人間は何度だって立ち上がれる前身の『進ぬ!電波少年』より引き継がれた企画。ホームレスから社長候補を探し、資本金300万円を集めて有限会社を設立する。3人の芸人が挑戦したが、山田(剣聖剣士)は企画の苛酷さと子どもが小銭を恵んでくれようとすることにショックを受けリタイアとなった。ムネ(オーディン)もホームレス生活に馴染んでしまい、スタッフから番組の打ち切りと企画終了を告げられ「帰っていいよ」と言われたが、「帰らなくてもいいんですよね」とホームレスタウン残留を希望し、「ボクはホームレス」ともじられた。ハイテンション石原(現・THE石原)は、纏まったお金(30万円)を持ってきたら社長就任も考えるという元会社経営者のホームレスに出会うが、そこでT部長から番組終了を告げられる。最後までやりたいと石原が希望したため、「回転寿司生活」の杉やんが最後のネタとして釣り上げたマグロで一攫千金を狙うという合同企画が行われたが、結局マグロは釣れず終了となった。当時は、今ほど触れられることの無かったホームレスの生活などを結果として、いち早くテレビ番組で取り上げることとなった。なお、『進ぬ!』時代に放送された初回では、ショッカーが3人の芸人を拉致する降りがあったが、遅れネットの地域では北朝鮮による日本人拉致問題が大きく取り上げられた時期と重なったこともあり、不謹慎と判断されたため放送されなかった。
杉やんの回転寿司生活かっぱ寿司のCMに出ているカンカラの杉やんこと杉林功が、かっぱ寿司のネタを自ら漁や野菜畑で手に入れ、それを食料として生活する企画である。ゴールはメニューの50品目を全て食べることで、移動手段は原付だったが企画開始直後に杉やんは原付免許を取得していない事が発覚し、原付免許を取得することになってしまった。同企画は寿司以外のものは食べてはいけないというルールだったが、ガリは自由に食べてよいとされ、飲み物はお茶が用意された(ただし、お茶以外の飲み物も飲んではいけない)。ところが、14品目をクリアしたところで番組終了を告げられ、杉やんの希望で最後にマグロを釣って企画を締めることになった。青森県大間に出向き、「ボスはホームレス」に挑戦していた石原とともにマグロ釣りに挑んだが、結局釣ることはできなかった。最終回の生放送では、杉やんがとある漁港で残りのネタを釣り上げる様子が中継された。そこではシーチキンの缶やパックの魚といった「“ネタ”」が釣り針にかかっており、最後はなぜか杉やんがチューヤンに入れ替わっているという結末となり終わった。
日本ポッチャリ党ぽっちゃりな女性が好みの若手芸人たちが自らポッチャリ党を設立し、グラビアアイドル葉川空美を5キロ太らせ“ぽっちゃりアイドル”にするという企画で、過度な痩身至上主義やダイエットブームから女性を守るために企画された。なお、この企画に挑戦した芸人らはジャガーズTKO木下隆行魚でFブラック・ボックスビームなど。富士山の麓にある「ポッチャリ山荘」に軟禁された葉川のもと、葉川がグルメ雑誌などで指定した料理を芸人たちが自転車で店まで買出しに行くという内容だった(自転車で買出しをするというのは、葉川本人は全く知らなかった。)。初めは東京など比較的近い場所だったが次第に関西など距離が伸びていき、最終回では何と韓国にまでも至った。最終回のお正月メニューで目標体重に到達してゴールとなり、自転車で買出しをしていたことが知らされるが、葉川は「そうなんだー」というリアクションをとるのみであった。
LAUGH&PEACE 笑いで平和をもたらしたい!!カラテカ矢部太郎が挑戦し、戦時中のアフガニスタンイスラエルで現地人を笑わせる企画で、笑わしに行こうシリーズの続編と言える。食事は笑わしに行こうシリーズ同様、会話テストの正解で獲得だったが、アフガニスタン編では、2つの言語(パシュトー語ダリー語)があるため、2種類の会話テストをしていた(その分正解したときの食事も2つ)。矢部は、現地でボランティアも行っていた。
復活!!国境ダジャレ カラテカのはじめてのおつかい『電波少年INTERNATIONAL』でキャイ?ンが行った企画のリメイクで、カラテカが挑戦した。第一弾は東ティモールインドネシアの国境で、「西から昇ったお日様が、東ティモール。


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