電気機関車
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電気機関車(でんききかんしゃ)は、電気を動力源とする機関車のこと。EL(Electric Locomotive)や、電関(でんかん)、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}電機(でんき。日本国有鉄道〈国鉄〉での電気機関車の略称)とも呼ばれる[要出典]。

電気機関車は電化区間において架線などの外部電源から電力を受電し、その電力を電動機(電気モーター)で動力へ変換し走行する。電気機関車が動力装置をもたない客車貨車を牽引する列車の運転方法を動力集中方式という。これに対し、列車の複数の車両に動力装置を分散させる電車動力分散方式という。それぞれの方式の得失は当該の項目を参照。

蓄電池を動力源として用いる車両は、通常、蓄電池機関車と呼ばれ区別される。また、電動機で駆動する機関車のうち、電気式ディーゼル機関車ハイブリッド機関車も電気機関車には含まない。集電装置を持ったディーゼル機関車については「電気・ディーゼル両用車両」を参照

第二次世界大戦中にはスイス蒸気機関車にパンタグラフを搭載して電気で加熱できるよう改造した例があるが、これも電気を直接動力にするわけではなく、メカニズムは蒸気機関車そのものであるため、電気機関車ではなく蒸気機関車に区分される。
長所と短所

電気機関車はディーゼル機関車や蒸気機関車のように大量の燃料を積載する必要はなく、その余裕を車体寸法と重量の低減や、出力の増大に充てることができる。また、運転時に煤煙排出ガスを出すこともないため、車内環境、沿線環境が改善される。一方、蓄電池式電気機関車という例外があるものの、電化路線でしか運用できず、電化設備の維持のため大きなコストがかかる。

一般的な旅客電車は洗車機での車体洗浄が可能であるが、電気機関車は車体側面に機器冷却用の通風口があり、それらからの不必要な水の浸入による機器への悪影響を避けるため、作業員によるモップを使用した手作業となっている。
歴史Alco-GE S-1形の試作機、NYC & HR の6000号機(直流)

電気機関車の最初のプロトタイプは、1834年にロシアの科学者で発明家のボリス・ヤコビによって作成されたが、彼の発明は当時の鉄道には適合していなかった。その後、同時に米国、ドイツ、フランスで、電気モーターを使って乗組員を動かす実験が行われたが、成功を収めることはできなかった。

最初の電気機関車といわれているのは、スコットランドのロバート・デビッドソンが1837年アバディーンで製作したもので、電源にはガルバニ電池を使用していた。1841年にはこれを大型化し Galvani と名付けて Royal Scottish Society of Arts の博覧会に出展した。翌1842年9月にはエディンバラ - グラスゴー間の鉄道で試験走行が実施されたが、電池を使っているため走行距離が限られることから実用化されなかった[1][2]

実際に客車に乗客を乗せた最初の電気機関車は、ヴェルナー・フォン・ジーメンスベルリン1879年に実用化したものである。この電気機関車は2.2 kWの電動機で駆動され、3両の客車を連結した状態で最高速度 13 km/hで走行した。300メートルほどの円形の線路の上を走行するもので、4か月間に約9万人を乗せた。電力供給(集電)にはいわゆる第三軌条方式が採用されており、通常のレールの間に第三の絶縁されたレールを配していた。電源は線路の近くに設置したダイナモで発電していた。実際に商用運用された最初の電気機関車はベルリン近郊リヒターフェルデの路面電車として運行したもので、1881年に開業した。これもやはりヴェルナー・フォン・ジーメンスが製作したものである。も

イギリスでは1883年ブライトンで最初の電気機関車を使ったマグヌス・ヴォルクの鉄道(ヴォルクの電気鉄道)が開業した。同年、グラスゴーの石油精製事業者のディック・カー社(英語版)もガスエンジン軽便鉄道事業に参入した。

アメリカ合衆国で最初の路面電車は1888年のリッチモンド・ユニオン旅客鉄道(英語版)で、フランク・スプレイグの設計である[3]

鉄道網が広がるにつれ、都市部にもトンネルが建設されるようになり、電気機関車の開発が促進された。蒸気機関車の出す有害な煙が問題となり、都市部の各自治体で蒸気機関車の使用を制限する動きが広まりつつあった。イギリスで最初の電気機関車を使った地下鉄であるシティー&サウス・ロンドン鉄道線(現在のノーザン線の一部)も、背景には蒸気機関の使用を制限する法律がある[4]。この路線が運行を開始したのは1890年で、Mather and Platt 製の電気機関車を使っていた。1897年フランク・スプレイグ総括制御を発明したことも、地下鉄の急速な電化を促進することにつながった。対する地上の鉄道では法律などで強制的に転換を迫られるまで蒸気機関車を使い続けた。ボルチモア環状線
空中に第三軌条を配し、そこから電流を流す方式だった

地上の本格的な鉄道で最初に電化した路線はボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 (B&O) の全長4マイルほどの Baltimore Belt Line(ボルチモア環状線)であり、1895年のことである。これはB&Oの幹線と新たに建設されたニューヨークまでの路線を接続する部分で、ボルチモア中心街の辺縁を通すためにいくつかのトンネルを必要とした。これと並行するように走っていたペンシルバニア鉄道の路線は蒸気機関車を運行しており、その煙が公害問題を引き起こそうとしていた。B&Oでは南端で列車に電気機関車を連結し、もう一方の端までそれを牽引した[5]
交流の導入GE製の凸型 (steeplecab) 電気機関車。この写真はインターアーバン鉄道で使われたもので、トロリーポール式になっている。さらに大型の凸型入換機関車。ミルウォーキー鉄道ES-2形スイス国鉄のRe620形(同7,850 kW)とRe420形(定格出力4,700 kW)の重連

最初の交流電気機関車を設計したのはシャルル・ブラウン (en) で、当時チューリッヒの Oerlikon(アセア・ブラウン・ボベリの前身の一つ)に勤務していた。1891年ブラウンは三相交流を使い、ラウフェン・アム・ネッカー水力発電所からフランクフルト・アム・マインの鉄道駅まで280kmの長距離を結んだ送電実験を行った。ブラウンはかつて Jean Heilmann の蒸気 - 電気機関車の研究に参加しており、その経験から三相交流電動機直流電動機よりも駆動力が大きく、しかも整流子がないために構造が単純で製造や修理が容易だということに気づいていた[注釈 1]1896年、Oerlikonはルガーノの路面電車に世界初の商用交流システムを納入した。この三相交流電動機は一定速度で動作し、回生ブレーキ機構を備えており、急勾配の多い場所に適していた。三相交流電気機関車を本格的な鉄道で最初に採用したのはスイスのブルクドルフとトゥーンを結ぶ路線で、1899年にブラウンのシステム(当時はボベリと共同でブラウン・ボベリを経営)を導入した。30 tの機関車には2台の150馬力の電動機が搭載されていた。ハンガリーブダペストガンツ社のカンドー・カールマーンはアメリカのウェスティングハウスと共同で電気機械式の変換装置 (en) を開発し、単相交流で三相交流電動機を駆動できるようにし、必要な電線の本数を減らすことに成功した[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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