電気工学者
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電気工学は、複雑な電力系の設計から…… 電子回路の設計まで含む。

電気工学(でんきこうがく、: electrical engineering)は、電気磁気電磁波)の研究や応用を取り扱う工学分野である。電気磁気現象が広汎な応用範囲を持つ根源的な現象であるため、通信工学電子工学をはじめ、派生した技術でそれぞれまた学問分野を形成している。電気の特徴として「エネルギーの輸送手段」としても「情報の伝達媒体」としても大変有用であることが挙げられる。この観点から、前者を「強電」、後者を「弱電」と二分される。
歴史マイケル・ファラデーの発見が電動機技術の基盤を築いた。

電気は17世紀初めごろには科学の興味の対象となっていた。世界初の電気工学者は「ベルソリウム」[注釈 1]を設計したウィリアム・ギルバートといわれている。ベルソリウムは静電気を帯びている物体を検出する機器である。彼はまた、磁力と静電気を明確に区別した最初の人物であり、「electricity(エレクトリシティ)」(電気)という用語を確立した人物と言われている[1]。1775年、アレッサンドロ・ボルタは電荷を蓄える電気盆を世に知らしめ、1800年には電池の先駆けであるボルタ電池を開発した[2]

しかし、電気に関する研究が本格化するのは19世紀になってからである。ゲオルグ・オームは1827年、導体における電流電位差の関係を定式化した(オームの法則)。1831年、マイケル・ファラデー電磁誘導現象を発見した。ジェームズ・クラーク・マクスウェルは電気と磁気の統一理論を確立し、1873年に “Electricity and Magnetism”(抄訳「電気と磁気」)という論文を発表した[3]
電気工学教育の誕生と電力の商業化トーマス・エジソンは世界初の大規模電力供給網を構築した。

そのころ、電気の研究は物理学の一分野とみなされていた。電気工学が大学の学科となるのは19世紀末ごろである。1882年、ダルムシュタット工科大学が世界初の電気工学科を創設した。また同年、マサチューセッツ工科大学でも物理学部で電気工学の学位を選択できるようになった[4]。1883年、ダルムシュタット工科大学とコーネル大学で世界初の電気工学のカリキュラムを導入し、1885年にはイギリス初の電気工学科がユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに創設された[5]。1886年、アメリカ合衆国初の電気工学科をミズーリ大学コロンビア校が創設した[6]。日本では、工部省工学寮工学校電信科が1871年に発足しているが、これが東京大学工芸学部と統合されて帝国大学工科大学(後の東京大学工学部)となったのは1886年のことだった[7]ニコラ・テスラは長距離送電網を実現可能とした。

同じころ、電気工学は劇的な発展を遂げる。1882年、トーマス・エジソンはマンハッタンの59の顧客に直流110ボルトの電力を供給する世界初の電力供給網を完成させた。1884年、チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ蒸気タービンを発明し、これが今日では電力の80%を生み出している。1887年、ニコラ・テスラは、エジソンの直流方式と競合する交流による電力供給方式について複数の特許を取得している。その後、直流と交流のどちらが送電方式としてふさわしいかについて、エジソンとテスラの間で電流戦争と呼ばれる激しい対立が生じた。この対立は結局、送電効率と送電距離の長さという面で優れていた交流の勝利に終わった。

この2人は、他にも様々な業績を残している。テスラは誘導電動機多相交流について業績を残し、後の研究に影響を与えた。エジソンは電信で業績を残し、特に株価を電信で知らせ、それを紙テープに記録に残す装置 stock ticker を製品化し、その収益でゼネラル・エレクトリック社が生まれた。しかし、19世紀末には電気工学にさらなる進展をもたらす重要な人々が登場しつつあった[8]
無線工学の勃興

ラジオの開発においては、多数の科学者や発明家が無線技術や電子工学に貢献している。1881年、ハインリヒ・ヘルツ電磁波の発生と検出を行う電気装置を製作して極超短波の実験を行った。1895年、ニコラ・テスラはニューヨーク市内の自身の実験室から発信した電波をウェストポイントで受信する実験に成功した(距離は80.4km)[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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