電気グルーヴのオールナイトニッポン
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電気グルーヴのオールナイトニッポン
ジャンルバラエティ
放送方式生放送
放送期間1991年6月8日 - 1994年3月29日
放送時間毎週土曜日 27:00 - 29:00→
毎週火曜日 25:00 - 27:00 (JST)
放送回数142回
放送局ニッポン放送
ネットワークNRN
パーソナリティ電気グルーヴ石野卓球ピエール瀧
ディレクター加藤晋(初代)、三宅正希(2代目)
特記事項:
オールナイトニッポン土曜2部でスタート。
1992年10月20日に火曜1部に昇格。
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『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(でんきグルーヴのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン』で電気グルーヴ石野卓球ピエール瀧)がパーソナリティを担当したラジオ番組である。土曜2部で開始後、火曜1部に昇格。1991年6月から1994年3月に放送された。

電気グルーヴは当初3人構成のグループであったが、もう1人のメンバーであったCMJKは土曜2部第1回の直前に脱退。後に加入したまりん(現・砂原良徳)は口下手なため自ら進んで番組へ出ようとはせず、たまにゲストとして、または石野卓球の失踪時やピエール瀧の病欠時に於けるピンチヒッターとして登場するに留まった。
放送時間

土曜2部 1991年6月8日?1992年10月17日 27:00-29:00

火曜1部 1992年10月20日?1994年3月29日 25:00-27:00(ニッポン放送を
キーステーションに全国ネット)

概要

1991年6月川村かおりの後を継いで土曜2部を担当。当時は全くもって無名だったが、その数ヶ月前に月曜1部で2時間のスペシャル番組を担当した事や、『東京サウンドバズーカ音姫絵巻』内の10分番組「電気グルーヴのビリビリ行こうぜ」での実績を買われて2部のパーソナリティに抜擢された。なお、当時の月曜1部枠は同じナゴムレコード出身の大槻ケンヂが担当していた。1992年10月に『とんねるずのオールナイトニッポン』の後を受けて火曜1部に昇格、1994年3月に番組が終了。番組第1回において、オールナイトパーソナリティを務める事を「お猿の車掌新幹線を運転させるようなもの」と自評している。

しかし、2人の過激なトークと投稿ハガキの質の高さから番組の人気は徐々に上昇。番組開始当初の聴取率は測定不可能という意味の『※』だったが、その後当時放送されていた2部の全番組はもちろん、1部の『さくらももこのオールナイトニッポン』をも上回わり、『大江千里のオールナイトニッポン』と肩を並べる聴取率を獲得したこともある。また、ハガキの量も2部時代は断トツだったといわれる。この勢いを買われ、1992年10月にはとんねるずの後を受けて火曜1部に昇格した。1部第1回放送は瀧の「うんこ」の連呼で幕を開けた。電気グルーヴ自体の知名度も上昇しつつある頃で、テレビなどでの露出が増え出したのもこの番組が追い風となったのは間違いない。

1994年3月には番組が終了。番組内でさんざんいじり倒してきた石川よしひろに番組枠を奪われるという素晴らしいオチがついた。最終回ではこの告知を『石川よしひろのオールナイトニッポン』のトークから引用し、石川の酒に酔ったような独特の口調を聞いて「後から来た酔っ払いに新幹線の指定席を取られたようなもの」と切り捨てた。最終回はフリートークや常連への電話コーナーなどをまじえながら、特に湿っぽい雰囲気になることもなく、さらっと終了した。そして、リスナーやはがき職人たちに翌週から始まる『石川よしひろのオールナイトニッポン』に茶化しやいたずらのはがきを送るよう煽りを入れ、最後まで悪乗りを忘れない放送となったが…「アニキ(石川よしひろ)をよろしくな!」と応援する声も次リスナーへ送った。

この番組の影響としては次のようなものがある。浅草キッドとはオールナイトのパーソナリティ同士というきっかけで交流を深め、その後2組でライヴ・イベント「2階からぎょー虫ぶら下げおじさん」を行なった。伊集院光は元来電気のファンであり、前放送枠『伊集院光のOh!デカナイト』の番組を担当していた頃はよくそのままオールナイトに出演し、嬉々として瀧や石野にいじめられていた。その後も電気のテレビ番組に出演するなど公私ともに電気と交流があり、実際プライベートでも伊集院と瀧は親友であった。彼のラジオでのトーク・スタイルは電気に強く影響を受けているとよく評されており、伊集院自身も「(落語家時代の師匠である)三遊亭円楽に匹敵するくらいトークに影響を受けた」と公言している。他にもタレントの乾貴美子(『春風亭昇太と乾貴美子のラジオビバリー昼ズ』)は学生時代この番組の陰毛イベント(企画の罰ゲームで作らされた伊集院光のチン毛で作った筆の筆下ろしをした)に参加するほどの熱狂的ファンであったり、岡村隆史ナインティナイン)『ナインティナインのオールナイトニッポン』や土田晃之U-turn)は「オールナイトニッポン」を担当するにあたって番組づくりの参考にこの番組を研究したそうである。現代美術家の境貴雄は"シニカルな笑い"の性質を含む自身の作風に大きな影響を与えたものとして、中学生の頃に聞いていたこの番組を挙げ「カセットテープに録音して、テープが擦り切れるくらい何度も何度も繰り返し聴いていました」とインタビューで語っている。一方、電気は自分達がかつて欠かさずエアチェックしていた番組として、『ビートたけしのオールナイトニッポン』、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』、坂本龍一の『サウンドストリート』などを挙げている。これらの番組で展開された当時センセーショナルだった笑いと音楽のエッセンスは、本番組にも脈々と受継がれていた。

当番組終了後は『伊集院光のOh!デカナイト』内で「ビリビリ行こうぜ」が復活。藤波辰爾の曲をフィーチャーした「マッチョ・ドラゴンのコーナー」(有名人が企画盤で歌わされた曲を紹介する)が話題に。途中でホスト番組の『Oh!デカナイト』は終了するものの、『キャイ?ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!』内に継続され、1995年まで放送された。

その翌年の1996年にはTOKYO FMにて『電気グルーヴのドリルキングアワー』がスタート。こちらは途中からパーソナリティに砂原良徳も加わり、1997年まで放送された。

そして1999年、約5年ぶりに「オールナイトニッポン」に一夜限りのWIREプロモーション特番として復帰を果たす。


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