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電子音楽(でんしおんがく)は、現代音楽の一種としてスタートし、その後商業音楽や実験音楽や即興音楽に幅広い影響を与えた音楽の一ジャンルである。21世紀に入ってからも音楽大学やIRCAMなどの研究所をはじめ、正規の教育を授ける機関は多いが、一方でインディペンデント系のアーティストも多い。 語義としては電子楽器を用いた音楽全般であるが、一般には、電子楽器や、録音テープを用い、それらなくしては演奏し得ないような技法によって作り出された、前衛的な現代音楽をいう。コンピュータを使用したものはコンピュータ音楽と呼ばれる。 奏法は次の通りである。 19世紀におけるピアノの構造的な発展が、音楽のそれと同調しているように、電子音楽の歴史は、電子工学というテクノロジーと道を同じくしている。従って、電子音楽について説明する時、特にその黎明においては電子・電気楽器の開発と重なる事項が多い。 「電気」という表現が語に付く時代から、「電子」が付くいわゆる「エレクトロニクス」への移行と発展の時代をいつごろとするかは科学技術史家によって細部については議論のある所と思われる。19世紀に既に始まっていた電話などは、広義のエレクトロニクスの範疇には含まれるものの、増幅や発振といった機能は機械的に実現されていた時代であった(レコード等に至っては、当初は電気を使わないものであった)。一般に、20世紀に入った直後の頃に、幾人かの発明家により行われた真空管、特に増幅や発振といった機能を「電子的」に実現した三極管以降の発展に負う面が大きい。 史上初の実用化された本格的な電子楽器は1897年に米国の発明家サディウス・ケイヒル
概要:語義と奏法
楽器音やその他の音を録音したテープを切ってつなげたり、走行速度を変えたり、逆方向に走行させて再生する。
シンセサイザー[1]を用いて、伝統的な楽器音以外の音を音楽に用いる(シンセサイザーの音を主体とした内容である場合は、特に「シンセサイザー音楽」と呼称される場合がある)。
サンプラーを用いて、音素材を自由に組み合わせる。
それらをコンピュータによって制御する。
コンピュータによる制御を、偶然性に任せたり、そのときどきの演奏によって即興的に変化させたりする。
歴史
黎明期
一般に広く認知された最初の電子楽器は1917?1919年ごろにソ連の発明家レフ・テルミン教授によって発明されたテルミンである。これはアンテナ間の静電容量を手で遮ることによって調整し、その変化をヘテロダイン方式で音に変えて演奏する。テルミンが1920年に完成したこの楽器は、上司を魅了し、同年11月、ペトログラード技術工科大学機械科の学生が主催する夜会で、初めて一般聴衆の前でデモンストレーション演奏を行なった。
1921年10月5日にモスクワで行なわれた、第8回全ロシア電気技術会議において、テルミンの開発した世界初の電子楽器が公式に発表された。独創的なフォルムを持つこの楽器は、全国の電化を推進するロシア電化委員会にとって、プロパガンダ政策に利用できる価値を持つものであり、ソ連共産党機関紙『プラウダ』紙上でも、テルミンの論文と電子楽器のデモンストレーションが紹介された。レフ・テルミンはその後、アメリカへ渡った。テルミンとほぼ同時期、光学式で音と映像を同時生成するパフォーマンス用楽器「オプトフォニック・ピアノ
」が未来派画家ウラジミール・ロッシーネ(英語版)により開発され、これとよく似た光学式の楽器は1930年代前後にフランス、ソ連、アメリカ、ドイツ等で次々と開発された[2]。これらは映画フィルム中に音声信号を光学的に「焼き込んだ」ものであるサウンドトラック (サウンドトラック#光学式サウンドトラックを参照)のパターンを人工的に描いて人工的な音を生成するもので電子的に合成しているわけではないが、理論的にはあらゆる音を作ることができる。映画フィルムではなくパターンを切り抜いた円板を使ったものもあった。1928年、オンド・マルトノという電子楽器がフランスのモーリス・マルトノによって発明された。これはテルミンと同様に単音で奏される楽器であったが、音程は糸(リボン)によりコントロールする。この楽器は、トーン・フィルターで正弦波を加工することで作った音を、弦、シンバル等の様々な加工を施したスピーカーから出力する。オリヴィエ・メシアンのトゥランガリーラ交響曲の中で使われ、現在でもしばしば演奏される。1930年には、フリードリッヒ・トラウトバインがテルミンやマルトノをさらに進化させたトラウトニウムを開発する。使用例として、ヒンデミットのトラウトニウムと弦楽の為の協奏曲等がある。1934年には倍音加算合成を採用したハモンド・オルガン、1937年には減算合成を採用したハモンド・ノバコードが開発される。戦前の日本においても、これらの動向から隔絶されていたわけではなく、時として欧米のこれらの成果と同期した事例を見ることが出来る。例えば、宮城道雄の発明による八十絃に電気増幅器(アンプ)を付ける試み(1929年)や、長唄奏者の四世杵屋佐吉(本名・武藤良二)と楽器製作師の石田一治の共同製作による三味線をマイクロフォンとアンプで増幅する電子楽器「咸絃(かんげん)」の製作(1931年)[3]、ドイツ留学経験のある日本楽器の若手技師 山下精一がテルミン等にヒントを得て開発した、各種楽器音を再現可能な鍵盤楽器「マグナオルガン」(1935年)[4]等が挙げられる。 第二次世界大戦後の数年間、電子音楽は進歩的な作曲家によって作曲され、従来の楽器の表現を超越する方法を実現するものとして迎えられた。 現代的な電子音楽の作曲はフランスで、1948年のレコードを用いたミュージック・コンクレートの作曲から始まった。これは町の中の音など具体音を録音し、レコードで編集するものである。したがって最初のミュージック・コンクレート作品は、フランスでピエール・シェフェールやピエール・アンリによってレコードを切断して作られた。その他アメリカでは、フランスから渡ったエドガー・ヴァレーズなどがミュージック・コンクレートなどより編集しやすいテープ音楽を製作している(デイヴィット・メイゾンとエアハルト・カルコシュカからの出典)。 一方で電気的に生成された音による電子音楽(この場合の電子音楽という言葉は狭義で、具体音を使うミュージック・コンクレートに対して、電子音のみの音楽という意味で使われる)が、ドイツのケルンにある西ドイツ放送 (WDR)の電子音楽スタジオでテープを使って生まれた。
第二次大戦後:1940-50年代