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出典検索?: "雷句誠"
らいく まこと雷句 誠
本名河田 誠(かわだ まこと)
生誕 (1974-08-23) 1974年8月23日(49歳)[1]
日本・岐阜県岐阜市[2]
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1991年 -
ジャンル少年漫画
代表作『金色のガッシュ!!』
『どうぶつの国』
受賞第48回小学館漫画賞少年部門
(『金色のガッシュ!!』)
第37回講談社漫画賞児童部門
(『どうぶつの国』)
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雷句 誠 (らいく まこと、本名:河田 誠(かわだ まこと)、1974年8月23日[1] - )は、日本の漫画家。岐阜県岐阜市出身[2]。
1991年、県立岐阜城北高(旧:県立岐阜三田高校)在学中に「BIRD MAN」でまんがカレッジに入選、デビュー作となる。高校卒業後に上京し、藤田和日郎のもとで6年間アシスタントを務めた後、2001年1月から『週刊少年サンデー』(小学館)で『金色のガッシュ!!』を連載した。 漫画家になろうと決心したのは高校1年生のとき[3]。絵を描くことが好きなため画家になることも考えたが、ピカソなどの抽象画を見ても「普通の人に理解されにくい絵」がなぜ高価なのかわからなかった[3]。ならば「自分は子供たちにも理解されて、みんなに喜んでもらえる漫画を描こう」、「そんな漫画家になろう」と決心する[3]。漫画の描き方を知らなかった雷句は、他の漫画を真似して描きながら『サンデー』に投稿を始めた[3]。しかし、何も賞がもらえず原稿が送り返されることが続くと、描いて送るだけでは駄目だと思い、高校2年生の頃に編集部に持ちこむことを決意する[3]。岐阜から4時間以上かけて小学館に向かい、編集部からアドバイスをもらった[3]。それから1年後の高校3年生のとき、その時点で「自分が持っているもの」や「自分の思い」を全部詰めこんだという『BIRD MAN』を描いて投稿すると、これがまんがカレッジに入選し、デビュー作となる[3]。 『金色のガッシュ!!』で2003年に第48回小学館漫画賞少年部門を受賞。同作は『金色のガッシュベル!!』のタイトルでテレビアニメ化された他、トレーディングカード化、テレビゲーム化、映画化など積極的なメディアミックス展開が取られ、また『月刊コロコロコミック』、『ちゃお』で別の新人漫画家による4コマ漫画連載などで児童層の取り込みが図られ、一躍人気作品となった。 漫画家になって良かったことは子供たちに喜んでもらえたことであり、子供たちが一生懸命ハガキにガッシュの絵を描いて送ってきてくれることが励みになったという[3]。
来歴
デビューまでの経緯
転機となった作品
小学館との決別
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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