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雷公計島
所在地帰属未定(実効支配: ロシア)
所属諸島千島列島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度17分30秒 東経153度14分30秒 / 北緯48.29167度 東経153.24167度 / 48.29167; 153.24167
雷公計島(ライコケ島、らいこけとう)は千島列島の中部にある島。ロシア名はライコケ島 (о.Райкоке)、英語表記はRaikoke。
島名の由来はアイヌ語で「地獄の穴(または噴火口)」を意味する「ライ・コツ・ケ」である[4]。 松輪島の北方、松輪海峡を挟んだ約 18 キロメートルに位置する、長径約 2.5 キロメートル、短径約 2 キロメートルのやや楕円形をした火山島である。 全島で雷古計山(らいこけざん、海抜 551 メートル[4]、ロシア名:ライコケ山)を形成しており、岸辺は断崖が続いている。 千島列島に五つある、トドの集団繁殖地の一つに数えられる。また、フルマカモメの千島列島中最大の営巣地の一つでもある。 日本の行政区分では北海道根室振興局管内の新知郡に属した。戦後、ロシア連邦が実効支配しているものの、日本政府は国際法上、帰属未定地であるとしている。詳細は「千島列島#領土問題」を参照
地理
歴史
1700年(元禄13年)、元禄国絵図
1855年(安政元年)、日露通好条約によりロシア領となる。
1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により日本領になる。
1876年(明治9年)、千島国新知郡の所属となる[5]。
1883年、ヘンリー・ジェームズ・スノーはこの島に 15,000 頭以上のトドが生息していると報告したが、(スノー自身を含む)欧米人ハンターの乱獲により、1890年代には僅か数頭にまで激減した。現在もこの島でトドは繁殖していない。
1916年(大正5年)、臘虎膃肭獣猟獲取締法によりラッコ、オットセイの狩猟が禁止されるが、すでに絶滅状態だった。
噴火歴2019年の噴火
1778年 - 噴火[2]。山頂部分3分の1が破壊されるほどの規模だったとされ、これがきっかけとなり、その 2 年後には初めての千島列島の火山調査が実施されることとなった[2]。
1924年 - 2月15日[4]、噴火[6][6][2]。