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雲晴寺
本堂
所在地兵庫県明石市人丸町5-23
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度38分55.9秒 東経134度59分59.1秒 / 北緯34.648861度 東経134.999750度 / 34.648861; 134.999750
山号月江山
宗派曹洞宗
本尊釈迦牟尼仏
法人番号8140005005592
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雲晴寺(うんせいじ)は、兵庫県明石市にある曹洞宗の寺院。山号は月江山。本尊は釈迦牟尼仏。 この地にあった寺が「雲晴寺」と名付けられる以前の名称は不明であるが、1613年(慶長18年)に堂がわら葺きから瓦葺きに葺き替えられたと伝承されている。 1639年 (寛永16年)、明石藩主大久保忠職とその姉桃源院(東丸様、元安房館山藩主里見忠義正室)は、不遇の死を遂げた忠義の菩提を弔う為、ここにあった寺院の伽藍を整備し寺領を増やして供養を行い、里見忠義の法名「雲晴院殿心窓賢涼大居士」からとって雲晴寺と名が改められた[1]。これに際し、忠職の旧領地であった美濃加納 (岐阜県)より能山侃藝大和尚を招いて開山に据えた。開基は牧野家とされている。 天和2年(1682年)に越前大野藩から明石に入封した松平直明は、嫡母(父松平直良の正室)である清光院(豊姫、本多成重の娘)の位牌を雲晴寺に納めて永代供養を願い、清光院の実家である本多家の「丸に立ち葵
歴史
本堂裏には戦前まで宮本武蔵作と伝えられる庭があったが、1945年(昭和20年)7月の大空襲によって雲晴寺は山門を残して全焼し、庭も戦後復興の過程で埋められた。2003年(平成15年)、本堂建設に伴う発掘調査により庭園の一部が見つかり復元。その後武蔵の孫弟子にあたる柴任三左衛門夫妻の墓石が発見され、武蔵ゆかりの寺院の裏付けが濃くなった。
明石藩家老職を務めた織田家、津田家をはじめ、多くの藩士たちの菩提寺であった。家老の黒田家は神道、戦前は鐘楼堂、奥の院、茶室、坐禅堂など伽藍が整った広大な寺領を持つ寺院であった。 又、初代内閣総理大臣、伊藤俊輔(伊藤博文)は慶応2年(1866年)その当時の住職が長州藩の武士出身だった縁で雲晴寺に滞在、幕末の重大な役目を担っていたと言われている。
境内
本堂 - 2004年(平成16年)再建
山門 - 1700年(江戸時代元禄13年)再建
里見忠義供養塔
宮本武蔵作庭庭園
柴任三左衛門夫妻の墓石
幸運稲荷堂 - 1996年(平成8年)再建
庫裏 - 1992年(平成4年)再建
交通アクセス
山陽電鉄本線 人丸前駅 徒歩約3分
JR神戸線明石駅・山陽電鉄本線山陽明石駅 徒歩約7分
付近施設
柿本神社
明石市立天文科学館
長壽院(明石城主菩提所)
明石城跡・兵庫県立明石公園
兵庫県立図書館
明石市立文化博物館
月照寺
脚注[脚注の使い方]^ 神戸新聞NEXT|連載・特集|社寺巡礼|大空襲乗り越え再興 雲晴寺(明石市)(2017年6月18日閲覧)