雲居寺_(京都市)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、京都市にかつて存在し、大仏を安置していた寺院について説明しています。他の同名の寺院については「雲居寺」をご覧ください。

雲居寺(うんごじ)は、現在の京都市東山区にかつて存在した寺院である。

身の丈八丈で塗金された阿弥陀如来像(大仏)を安置していたが、応仁の乱で焼失した。「雲孤寺」「雲古寺」とも表記された[1]。「南都(東大寺)の半仏雲居、雲居の半仏東福(東福寺)」とされ、身の丈十六丈の東大寺大仏・身の丈五丈の東福寺大仏と並び称されていた。

現在高台寺の立地している場所に、雲居寺は存在していた[1]
歴史
雲居寺の創建と瞻西の大仏造立[参考]平安時代末期に造仏された阿弥陀三尊像の例(三千院)。久安4年(1148年)の作。

雲居寺の創設時期は明らかでない。八坂寺(現法観寺)の近辺に八坂東院という寺院が創設されたようであり、それが雲居寺の前身寺院であるとされる[2]。『続日本紀』承和4年(837年)2月27日条には、菅野永岑が、父菅野真道が建立した、八坂東院と呼ばれている道場一院について、院を分離してその寺地と定めることを建議し、許可されたとする記述がある[2]。その後八坂東院は「雲居寺」と改称されたようで、『日本紀略』康保元年(964年)11月21日条には、天台宗の僧浄蔵が、雲居寺で没したとある[2]。また雲居寺に藤原兼通などの貴族が埋葬されるなど[2]、雲居寺は格のある寺院として発展していったようである。

雲居寺大仏は瞻西上人(せんせい、? - 1127年?)が造立した。瞻西は比叡山で修行していたが(この時の瞻西をモデルにした『秋夜長物語』があるが、史実かは不明)、当時の浄土教の普及から、それへの信仰(阿弥陀如来への信仰)を深めるようになった。瞻西は雲居寺に入り、大仏を造立することを発願。『百錬抄』によると天治元年(1124年)7月19日に阿弥陀如来の大仏が落慶し、堂には藤原忠通の揮毫による扁額が掲げられたという[2]。『中右記』によれば、藤原宗忠が同年7月23日に雲居寺に参詣し、大仏を拝したという[2]。落慶した堂(大仏殿)は「勝応弥陀院」と称したが、建仁2年(1202年)には「勝応弥陀院」で、浄土宗の開祖法然が百日参籠したという。

雲居寺は大仏のことを「身の丈八丈(約24m)の黄金大仏」と公称していた。これについて歴史学者の川勝政太郎は、身の丈表記は大仏座像が立ち上がったと仮定した寸法であり、実寸は四丈(約12m)であったとしている。このような例は東大寺大仏でも見られ、実寸は五丈三尺だが、十六丈の大仏と公称していた[3]。川勝は以下の記述も証左として挙げている。雲居寺初代大仏は永享8年(1436年)11月29日に東山地域での大火のため焼失してしまうのだが、『東寺私用集』同日条に焼失した大仏について「阿弥陀座像居長四丈」と記されている[3]

万里集九の詩集「梅花無尽蔵」には「南都(東大寺)の半仏雲居、雲居の半仏東福(東福寺)」とあり、中世の日本においては(少なくとも関西地方においては)、東大寺大仏・雲居寺大仏・東福寺大仏の三尊が日本三大仏と称されていた。「南都の半仏雲居」は、東大寺大仏が十六丈と公称し、雲居寺が八丈と公称していたため(雲居寺大仏の身の丈は、東大寺大仏の半分の意)とされる[3]
永享年間の焼失と足利義教の大仏再建室町幕府第6代将軍足利義教像(妙興寺蔵)

瞻西の造立した雲居寺初代大仏は、室町時代の永享8年(1436年)11月29日に、東山地域での大火のため焼失してしまう[3]。『東寺長者補任』同日条によれば、同日夜に清水坂より出火し、「八坂塔、雲居寺同極楽堂、金堂、双林寺」が焼失したという[4]。これに対して、時の将軍足利義教は、自身の肝いりの政策として、木造で大仏の再建を命じ[5]、同じ高さで再建された(焼失した初代大仏の構造は明らかでない)。

雲居寺の再建に関しては以下の記録がある。『蔭涼軒日録』によれば、永享11年(1439年)6月に京都高辻大宮仏師と東方仏師が共同で大仏の造像を開始した[6]。歴史学者の遠藤廣昭は、「京都高辻大宮仏師」は当該地に拠点を構えていたことから院派仏師[7]、「東方仏師」は諸史料の分析から奈良仏師であるとしている[7]。大仏は永享12年(1440年)に完成したが、足利義教の検分の結果不合格となり、再度造り直すことになった[8]。『蔭涼軒日録』同年4月11日条に「雲孤寺御成、本尊御拝見、不相応之由被命仏師」と、5月12日条に「雲孤寺本尊不如先規故」とあり、義教は、新造された大仏が「先規」と違うので造り直すよう命じたようである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef