雲南省_(中華民国)
[Wikipedia|▼Menu]

中華民国 雲南省
1912年 - 1951年
雲南省の位置雲南省の位置
簡体字云南
繁体字雲南
?音Yunnan
カタカナ転記ユンナン
国家中華民国
行政級別
政府所在地昆明県1912-1935
昆明市1935-1949
タイ王国バンコク1950-1951
建置1912年
消滅1951年 
面積
- 総面積420,465 km²
人口

雲南省(うんなんしょう)は、かつて中華民国に存在した
管轄区域

現在の中華人民共和国雲南省全域、四川省攀枝花市の一部及びミャンマーの北部山岳部を含む範囲を管轄した。

東は貴州省及び広西省、北は四川省及び西康省、南及び西はインド及びビルマに接していた。
行政沿革

1911年宣統3年)、辛亥革命が発生すると、?軍は10月30日に木々、11月1日に清朝官吏を駆逐、11月3日に雲南大漢軍政府が成立、革命軍司令官の蔡鍔が軍政府都督に就任した。これより以前に10月27日に成立した張文光等による?西都督府も存在したがまもなく廃されている。

1913年民国2年)、『劃一令』により中華民国が省民政長官として民政長が設置され、下部に民政、財政などの司が設置された。1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称されている。同年12月25日、唐継尭による雲南独立が宣言されると、一時巡按使署は民政庁と改称され、都督府の管轄とされた時期があった。

1916年(民国5年)7月6日、巡按使は省長と改称、その下部に政務、財務等の庁が設置された。1927年(明国16年)3月9日、国民党中央政治会議は雲南省政務委員会を設置、当初は広州国民政府、後に南京国民政府に帰属した。

1949年(民国38年)12月19日、共産党勢力により雲南省の大部分が「解放」され、中華民国は実効支配権を喪失したが、ビルマラオス国境地帯では雲南反共救国軍(中国語版)が引き続きゲリラ戦を行っていた。雲南反共救国軍は1951年(民国40年)5月に滄源耿馬瀾滄双江の4県で大規模な攻勢に出るが、人民解放軍の反撃によって7月までにビルマやタイ北部に脱出した。その後、国連決議に伴って雲南反共救国軍の兵士たちは武装解除の上、台湾に退去することが決まり、1954年(民国43年)までに6,986人が台湾に退去した。しかし一部の兵士は現地に残留し、雲南人民反共志願軍を結成して、1960年(民国49年)までゲリラ戦を行った。
省会

1935年(民国24年)3月までは昆明県、それ以降は昆明市に設置された。
歴代省長

代氏名就任日退任日
1
蔡鍔1912年3月-
2唐継堯1913年12月-
3顧品珍1921年2月-
4唐継堯1922年4月-
5胡若愚1927年3月-
6竜雲1928年1月-
7李宗黄1945年10月-
8盧漢1945年11月-

行政区画
道制

清代は?東、?西、?南、臨開広の4道が設置されていたが、辛亥革命後は?東道は廃止となり、?西、?南、臨開広の3道は清制がそのまま踏襲された。1914年(民国2年)2月25日、?西、?南、臨開広は?西、?南、臨開広道と改称され、新たに?中道が旧?東道地区に新設されている。

1914年(民国3年)6月24日、北京政府が発布した『劃一令』により各観察使は?水道、蒙自道、普?道、騰越道が設置された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef