中華民国 雲南省
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雲南省の位置雲南省の位置
簡体字云南
繁体字雲南
?音Yunnan
カタカナ転記ユンナン
国家中華民国
行政級別省
政府所在地昆明県1912-1935
昆明市1935-1949
タイ王国バンコク1950-1951
建置1912年
消滅1951年
面積
- 総面積420,465 km²
人口
雲南省(うんなんしょう)は、かつて中華民国に存在した省。 現在の中華人民共和国雲南省全域、四川省攀枝花市の一部及びミャンマーの北部山岳部を含む範囲を管轄した。 東は貴州省及び広西省、北は四川省及び西康省、南及び西はインド及びビルマに接していた。 1911年(宣統3年)、辛亥革命が発生すると、?軍は10月30日に木々、11月1日に清朝官吏を駆逐、11月3日に雲南大漢軍政府が成立、革命軍司令官の蔡鍔が軍政府都督に就任した。これより以前に10月27日に成立した張文光 1913年(民国2年)、『劃一令』により中華民国が省民政長官として民政長が設置され、下部に民政、財政などの司が設置された。1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称されている。同年12月25日、唐継尭による雲南独立が宣言されると、一時巡按使署は民政庁と改称され、都督府の管轄とされた時期があった。 1916年(民国5年)7月6日、巡按使は省長と改称、その下部に政務、財務等の庁が設置された。1927年(明国16年)3月9日、国民党中央政治会議は雲南省政務委員会を設置、当初は広州国民政府、後に南京国民政府に帰属した。 1949年(民国38年)12月19日、共産党勢力により雲南省の大部分が「解放」され、中華民国は実効支配権を喪失したが、ビルマ、ラオス国境地帯では雲南反共救国軍
管轄区域
行政沿革
1935年(民国24年)3月までは昆明県、それ以降は昆明市に設置された。 代氏名就任日退任日 清代は?東、?西、?南、臨開広の4道が設置されていたが、辛亥革命後は?東道は廃止となり、?西、?南、臨開広の3道は清制がそのまま踏襲された。1914年(民国2年)2月25日、?西、?南、臨開広は?西、?南、臨開広道と改称され、新たに?中道が旧?東道地区に新設されている。 1914年(民国3年)6月24日、北京政府が発布した『劃一令』により各観察使は?水道、蒙自道、普?道、騰越道が設置された。1927年(民国16年)の北伐の結果、道制は廃止された。 中華人民共和国成立直前の管轄県は下記の1市113県15設治局。(50音順)
歴代省長
1蔡鍔1912年3月-
2唐継堯1913年12月-
3顧品珍1921年2月-
4唐継堯1922年4月-
5胡若愚1927年3月-
6竜雲1928年1月-
7李宗黄1945年10月-
8盧漢1945年11月-
行政区画
道制
?水道
蒙自道
普?道
騰越道
県級行政区画
市
昆明市:1935年8月に昆明県の27村に設置。
県
安寧県
威信県
維西県
易門県
彝良県
雲県
雲竜県
永勝県:1913年4月、永北県として成立、1934年2月改称。
永仁県:1929年11月、大姚県苴却地区に新設。
永善県
永平県
塩興県:1913年4月、定遠県と広通県の一部に新設。
塩津県:1917年1月、大関県塩井地区に新設。
塩豊県
開遠県
会沢県:1913年4月に東川県と改称、1929年11月、会沢県と改称。
鶴慶県
峨山県:清代の?山県。1929年11月改称。
河西県
華寧県:1913年4月に寧県として成立。1914年1月に黎県と、1931年に華寧県と改称。
華坪県
丘北県
曲渓県
玉渓県:1913年3月、新興県として設置。1914年1月、休納県、1916年11月に玉渓県と改称。
曲靖県:清代の南寧県。1913年4月改称。
宜良県
金平県:1936年7月、金河、平河両行政区に新設。
景谷県:1913年4月、威遠県として成立、1914年1月改称。
景東県
元江県
硯山県:1933年6月、文山県江那県佐及び広南県小維摩県佐地区に新設。
建水県:1913年4月、臨安県として成立。1914年1月に建水県と改称。
剣川県
元謀県
巧家県
江城県:1929年12月、?烈行政区に新設。
江川県
広通県
広南県:清代の宝寧県。1913年4月改称。
箇旧県
昆明県:1945年1月、穀昌県と一時改称されるが、1948年2月に昆明県に戻された。
昆陽県
?源県
師宗県
思茅県
車里県:1929年12月、普思沿辺第1区に新設。
順寧県
祥雲県:清代の雲南県。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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