雪女概要
種別妖怪
詳細
国 日本
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佐脇嵩之『百怪図巻』より「ゆき女」鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「雪女」水木しげるロードに設置されている「雪女」のブロンズ像
雪女(ゆきおんな)は、雪の妖怪。別名として「ユキムスメ」、「ユキオナゴ」、「ユキジョロウ(雪女郎)」、「ユキアネサ」、「雪オンバ」、「雪ンバ」(愛媛)、「雪降り婆」とも呼ばれる[1]。「ツララオンナ」、「カネコリムスメ」「シガマニョウボウ」など、氷柱に結びつけて呼ばれることも多い。
由来』には、法師が越後国(現・新潟県)に滞在していたときに雪女を見たと記述があることから、室町時代には既に伝承があったことがわかる[2]。
呼び方は違えど、常に「死」を表す白装束を身にまとい男に冷たい息を吹きかけて凍死させたり、男の精を吸いつくして殺すところは共通しており、広く「雪の妖怪」として怖れられていた。
雪女は『宗祇諸国物語』をもとにした小泉八雲の『怪談』「雪女」の様に、恐ろしくも美しい存在として語られることが多く、雪の性質からはかなさを連想させられる。
なお、雪男はイエティやビッグフットの訳語として、近代になって付けられたものであり、雪女の男性版というわけではない。 伝承では、新潟県小千谷地方では、男のところに美しい女が訪ね、女は自ら望んで男の嫁になるが、嫁の嫌がるのを無理に風呂に入れると姿がなくなり、男が切り落とした細い氷柱の欠片だけが浮いていたという(⇒つらら女)。青森県や山形県にも同様の話があり「しがま女房」などと呼ばれる[1]。山形県上山地方の雪女は、雪の夜に老夫婦のもとを訪ね、囲炉裏の火にあたらせてもらうが、夜更けにまた旅に出ようとするので、翁が娘の手をとって押し止めようとすると、ぞっとするほど冷たい。と、見る間に娘は雪煙となって、煙出しから出ていったという。 また、姑獲鳥との接点も持っており、吹雪の晩に子供(雪ん子)を抱いて立ち、通る人間に子を抱いてくれと頼む話が伝えられる。その子を抱くと、子がどんどん重くなり、人は雪に埋もれて凍死するという[3]。頼みを断わると、雪の谷に突き落とされるとも伝えられる。弘前では、ある武士が同様に雪女に子供を抱くよう頼まれたが、短刀を口に咥えて子供の頭の近くに刃が来るようにして抱いたところ、この怪異を逃れることができ、武士が子供を雪女に返すと、雪女は子供を抱いてくれたお礼といって数々の宝物をくれたという[4]。次第に増える、雪ん子の重さに耐え抜いた者は怪力を得るともいう[2]。 長野県伊那地方では、雪女を「ユキオンバ」と呼び、雪の降る夜に山姥の姿で現れると信じられている。同様に、愛媛県吉田では、雪の積もった夜に「ユキンバ」が出ると言って、子供を屋外に出さない様にする。また、岩手県遠野地方では、小正月の1月15日、または谷の満月の夜には、雪女が多くの童子を連れて野に出て遊ぶので、子供の外出を戒めるという。この様に、雪女を山姥と同じものとして扱うところも多く、多くの童子を連れるという多産の性質も、山姥のそれに類似している。和歌山県伊都地方では、雪の降り積む夜には一本足の子どもが飛び歩くので、翌朝に円形の足跡が残っているといい、これを「ユキンボウ」と言うが、1本足の童子は山神の使いとされている。鳥取県東伯郡小鹿村(現・三朝町)の雪女は、淡雪に乗って現れる時に、「氷ごせ湯ごせ」(「ごせ」とは「(物を)くれ、下さい」という意味の方言)と言いながら白幣を振り、水をかけると膨れ、湯をかけると消えるという。奈良県吉野郡十津川の流域でいう「オシロイバアサン」、「オシロイババア」も雪女の一種と思われ、鏡をジャラジャラ引きずってくるという。これらの白幣を振るという動作や、鏡を持つという姿は、生産と豊穣を司る山神に仕える巫女としての性格の名残であると考えられる。実際に青森では、雪女が正月三日に里に降り、最初の卯の日に山に帰ると云われ、卯の日の遅い年は作柄が変わるとされていた。 岩手県や宮城県の伝承では、雪女は人間の精気を奪うとされ、新潟県では子供の生き肝を抜き取る、人間を凍死させるなどといわれる。秋田県西馬音内では、雪女の顔を見たり言葉を交わしたりすると食い殺されるという。
逸話