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令制国一覧 > 北海道 (令制) > 石狩国 > 雨竜郡
日本 > 北海道 > 空知総合振興局・上川総合振興局 > 雨竜郡
北海道雨竜郡の位置(1.妹背牛町 2.秩父別町 3.雨竜町 4.北竜町 5.沼田町 6.幌加内町 黄:明治期)
雨竜郡(うりゅうぐん)は、北海道(石狩国)空知総合振興局・上川総合振興局管内の郡。
人口12,602人、面積1,496.06km²、人口密度8.42人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)
以下の6町を含む。
空知管内
妹背牛町(もせうしちょう)
秩父別町(ちっぷべつちょう)
雨竜町(うりゅうちょう)
北竜町(ほくりゅうちょう)
沼田町(ぬまたちょう)
上川管内 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記6町に深川市の大部分(概ね石狩川以北)を加えた区域にあたる。 江戸時代の雨竜郡域は西蝦夷地に属し、石狩場所に含まれ松前藩領となっていた。江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年雨竜郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。 文化5年には留萌支配人山田屋文右衛門によって留萌からニセバルマ(現増毛郡増毛町御料)、エタイベツを経て樺戸郡と雨竜郡の境界にあたるオシラリカに出る約25里(98.2km)の道が開削され、この道は雨竜越と呼ばれていた。 文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び公儀御料となり庄内藩が警固を行った。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して雨竜郡が置かれた。
幌加内町(ほろかないちょう)
郡域
歴史
郡発足までの沿革
郡発足以降の沿革北海道一・二級町村制施行時の雨竜郡の町村(19.深川村 20.一已村 21.秩父別村 22.雨竜村 23.北竜村 24.上北竜村 25.幌加内村 青:区域が発足時と同じ町村 水色:分立して現存する町村 34.妹背牛村)
明治2年
8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、石狩国および雨竜郡が設置される。開拓使直轄領となった。
8月28日(1869年10月3日) - 山口藩領となる(北海道の分領支配)。
明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
明治5年
4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
第2大区
3小区
明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての雨竜郡が発足。
明治13年(1880年)3月 - 石狩郡外七郡役所(石狩厚田浜益上川樺戸雨竜空知夕張郡役所)の管轄となる。
明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
明治17年(1884年)4月 - 札幌郡外五郡役所(札幌夕張空知樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
明治22年(1889年)1月 - 樺戸郡外二郡役所(樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治24年(1891年)3月 - 札幌郡外九郡役所(札幌石狩厚田浜益千歳空知夕張樺戸雨竜上川郡役所)の管轄となる。
明治25年(1892年)- 雨竜村、深川村を設置。
明治29年(1896年)6月 - 空知郡外四郡役所(空知夕張雨竜樺戸上川郡役所)の管轄となる。
明治30年(1897年)
7月 - 空知郡外三郡役所(空知夕張雨竜樺戸郡役所)の管轄となる。
11月5日 - 郡役所が廃止され、空知支庁の管轄となる。