あめみや けいた
雨宮 慶太
第30回東京国際映画祭にて(2017年10月)
生年月日 (1959-08-24) 1959年8月24日(64歳)
出生地 日本・千葉県浦安市
職業映画監督
イラストレーター
キャラクターデザイナー
ジャンル映画
テレビアニメ
オリジナルビデオ
漫画
主な作品
『未来忍者 慶雲機忍外伝』
『ゼイラム』シリーズ
『鳥人戦隊ジェットマン』
『仮面ライダーZO』
『仮面ライダーJ』
『人造人間ハカイダー』
『鉄甲機ミカヅキ』
『牙狼-GARO-』シリーズ
『衝撃ゴウライガン!!』
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雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日[1][2][3] - )は、日本の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイナー。有限会社クラウド代表[2]。国際SFアートコンテストなど、数々の受賞歴を持つ。
千葉県出身[1][2]。 1978年、阿佐ヶ谷美術専門学校に入学[1]。同校を中退後[4]、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社[1][5]。その間に自主制作映画『スウィートホーム』を発表し話題となる[6]。1983年に有限会社クラウドを設立[6][1][5][3]。篠原保や阿部統などといった人材を輩出した。 その後雑誌『宇宙船』編集長の村山実の紹介[7]で『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年)にて初めてキャラクターデザインを担当[3]、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる[2][5]。当時東映のプロデューサーであった吉川進は、後に雨宮が監督した『未来忍者』を見せてもらった際、当時吉川の上司であった渡邊亮徳も感心し今後の東映の戦力として参加させていこうという話になったことを述懐している[7]。東映特撮との関わりはその後『人造人間ハカイダー』(1995年)まで続くが、それ以降も『仮面ライダーディケイド』(2009年)で怪魔ロボットシュバリアンのキャラクターデザインを担当、約13年ぶりに東映作品に参加した[2]。 映画監督としては1988年の『未来忍者 慶雲機忍外伝』でデビュー[6][2][5][3]。代表作には1991年公開の『ゼイラム』や、『東映スーパーヒーローフェア』(1993年 - 1995年)、『タオの月』(1997年)など。テレビ作品での初演出となった『鳥人戦隊ジェットマン』では、パイロット版(第1・2話)の監督にも抜擢されている[3]。同作品のプロデューサーを務めた東映の鈴木武幸は、『未来忍者』を見ていけると直感したと述べている[8]。 後述するイメージ通りの演出に対する思いから、2000年代以降は自ら原作まで手がけることも多く、『鉄甲機ミカヅキ』(2000年)や『魔法少女隊アルス』(2004年)、続編も多数制作された『牙狼-GARO-』(2005年)など、分野を問わず多彩な活動を見せている。 幼少時より特撮が好きで、特に『仮面ライダー』は少年仮面ライダー隊隊員番号No.2をもつほどのファンであったという。また時代劇やスター・ウォーズシリーズなども愛好しており、その原点は黒澤明の監督作品であるという[6]。『未来忍者』や『タオの月』など自作品でもそのイメージを取り入れている[9][6]。 活動初期の1980年代について、雨宮自身は格好悪いものや気持ち悪いものの中にある格好良さなどに魅力を感じていたが、バブル景気前の日本社会にはそういったネガティブに見えるものは拒絶されていたと述懐している[6]。 作品の世界観については非日常で囲まれているものが居心地がいいと述べており、『未来忍者』のようなまるごと異世界であるものが好みだという[9]。 玩具が好きで、『鉄甲機ミカヅキ』ではブリキのロボットをモチーフとした月光機を登場させている[6]。雨宮は『ミカヅキ』について「男の子が大好きなモノを詰め込んだ作品」と述べており、自身もまた「四十の男の子」であると称している[6]。 『時空戦士スピルバン』ではゲスト怪人の大半がメカ系キャラクターであったが、雨宮自身はメカはあまり好きではないといい、実写でリアリティを感じさせるロボを表現するのは難しいと述べている[2]。 『ウルトラマンUSA』への参加は、その前に企画されていた実相寺昭雄監督予定の映画『ウルトラQモンスターコンチェルト』の怪獣デザイン公募に応募したのがきっかけで起用された[5]。 『未来忍者』では、雨宮は当初企画として参加していたが、世界観を委ねる監督の候補が挙がらなかったため、内容を熟知している雨宮が名乗りをあげたという[9][5]。
来歴
人物・エピソード