雨上がり決死隊
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雨上がり決死隊
メンバー
蛍原徹
宮迫博之
結成年1989年4月26日
解散年2021年8月17日
事務所吉本興業
(2019年7月19日以降蛍原のみ)
活動時期1989年 - 2019年
出身NSC大阪校7期
出会いNSC
旧コンビ名ホワイト&ホワイト(蛍原)
ぴいぷる(宮迫)
芸種コント漫才
ネタ作成者両者
過去の代表番組アメトーーク!
ワンナイR&R
芸人報道
世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?
雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!
リンカーン
同期極楽とんぼ
名倉潤ネプチューン
ベイブルース
トゥナイト
たかおみゆき
矢部美幸
安尾信乃助など
受賞歴
1992年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
1992年 上方お笑い大賞銀賞
1993年 上方漫才大賞新人奨励賞
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雨上がり決死隊(あめあがりけっしたい)は、かつて吉本興業に所属していた日本お笑いコンビ。略称は「雨上がり」。

2019年7月19日、吉本が宮迫との契約を解消[1]したことで吉本に所属しているのは蛍原のみであったが、2021年8月17日の『アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会』(ABEMA)を以て正式に解散した[2][3][4]
メンバー詳細は「蛍原徹」および「宮迫博之」を参照

蛍原 徹(ほとはら とおる、 (1968-01-08) 1968年1月8日(56歳) - )

主にツッコミ担当、立ち位置は向かって右。しかし天然ボケのため、時にはボケに回る場合がある。

大阪府門真市出身。現在はテレビ番組の司会者、ピン芸人、ゴルフYouTubeチャンネル・ホトゴルフにてYouTuberとしても活躍中。


宮迫 博之(みやさこ ひろゆき、 (1970-03-31) 1970年3月31日(54歳) - )

主にボケ担当、立ち位置は向かって左。時にはツッコミへ回り、トークでは元相方・蛍原とWツッコミのようになっていた。

大阪府茨木市出身。不祥事により2019年6月24日から謹慎、7月19日から吉本から契約解消され、2020年1月29日からYouTuberとして活動再開。


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出典が不足しています。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。(2023年12月)




2人ともNSC大阪校7期出身、芸風は主にコントだった。その理由は同期のお笑いコンビ・ベイブルースの漫才が非常に上手く、漫才では勝てないと悟ったため。かつては漫才も時折行っていた。宮迫は授業料未納で除籍処分になりかけ、その話を後輩のナインティナインにすると2人も払わなくなり除籍処分にされた。

コンビ名の由来は、2人とも好きだったRCサクセションの曲『雨あがりの夜空に』から。正確には、NSC同期生で開催したライブのタイトルが「雨あがりの夜空に笑った」で、メンバー内で自分達のことを「雨上がり決死隊」と名付けていたことから、そのままコンビ名にした。

NHKの番組出演時には、「死」という文字を使用するのは放送上好ましくないというNHK側の意向により「雨上がり決志隊」と暫定的にコンビ名を変えることで対処した[注 1]。なお、知人にお祝いの品を贈る際にもこの名前を使用している。また『踊る!さんま御殿!!』出演時には「雨上がり決し隊」の表記だったこともある。その後はNHKでも「雨上がり決死隊」で出演可能になり、NHKでも本来のコンビ名で出演していた。

1989年4月(NSC卒業後)にコンビを結成したが、組む以前はそれぞれ別のコンビとして活動しており蛍原は『ホワイト&ホワイト』(コンビ名で毎回揉めており、蛍原は『メンズホワイト』説、元相方のコラアゲンはいごうまんは『ホワイト&ホワイト』説を唱えている。)、宮迫は『ぴいぷる』として活動していた。蛍原は他にもピン芸人「のっぺり星人」として舞台に立ったことがある。

NSC時代に、高校時代の同級生など元々友人関係から来たコンビを多く見てきた。そのため蛍原と宮迫はコンビを結成した当時、自分達も2人での思い出(=ネタ)を作らなければいけないと1年間芸人としての活動は少なくして一緒に過ごそうと決め、アルバイトも同じカラオケパブで始めた。蛍原は、パブのオーナーに「お前らなんか売れるか」と言われた際、悔しくて泣きながら走っているところを宮迫と同期に見つかり、慰められながらお好み焼きを食べたことがある。

NSC時代の同期生に、矢部浩之(ナインティナイン)の実兄・矢部美幸(現:ラフェイス代表取締役)がいる。当時の彼はコンビ『ちゃんねるず』として活動していた。

1990年代前半は、若い女性達を中心に人気を博した吉本興業のお笑いユニット・吉本印天然素材のリーダー格として活躍。天然素材で共に活動していたナイナイはNSC9期生で、2年後輩になる。

1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞を受賞したが、最優秀新人賞はナイナイが受賞し東京進出を果たした。以後、東京進出までに時間を要することとなった。

お笑い新人グランプリ結果発表の際、発表の前に審査員が最優秀新人賞・ナイナイへの賞状を持って宮迫の前を通り、目撃してしまった宮迫は凄い顔をしたという。

天然素材時代、同番組でMCを担当する。当時の雨上がりは天然素材の牽引役でありナイナイと人気を二分していた。ナイナイ・FUJIWARAチュパチャップスバッファロー吾郎らに対し、宮迫は「お前ら面白くないねん!! 俺らが1番面白いんや」と暴れるキャラでもあった。天然素材はアイドル芸人として売ろうとする会社の方針と対立したが、かえってお笑いを愛する芸人の集まりだった天然素材内部の結束力は高まり、宮迫は「天素が滑るな」と元メンバーを叱咤することもあった。

名古屋では、CBCテレビの夕方のワイド番組『ミックスパイください』にレギュラーで出演。その姉妹番組である深夜番組『ミックスパイ+』にも出演し、番組の総合司会を任せられていたが、高視聴率を誇っていたミックスパイ本編とは逆にミックスパイ+は常に視聴率0%台を叩き出していた。その事実を知った宮迫は「こんな誰も見てないテレビに出ても仕方ない!」「やる気ないわ!」「帰る!」など生放送中に暴言を連発し、その日の番組は終了。程なく番組自体も放送終了した。しかしこの番組以降もCBCテレビの番組へことある毎に出演しており、『ノブナガ』のレギュラー→準レギュラー(準レギュラー時はフットボールアワーと2週ごとに交代で出演)として出演していた。

1999年、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演。


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