「雨の嵐山」
長渕剛 の シングル
B面「わたし春を待ってます」
リリース1977年2月25日
規格7インチレコード
ジャンルポピュラー
フォークソング
時間4分41秒
レーベルビクター音楽産業/Victor
作詞・作曲長渕剛
チャート最高順位
53位(オリコン)
長渕剛 シングル 年表
「雨の嵐山」
(1977年)「巡恋歌」
(1978年)
EANコード
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「雨の嵐山」(あめのあらしやま)は、日本のシンガーソングライターである長渕剛のデビューシングル曲である。
1977年2月25日にビクター・レコードからリリースされた。作詞・作曲は長渕、編曲は船山基紀が担当している。
ヤマハポピュラーソングコンテスト入賞曲であり、レコード会社協賛社賞を4社から受けた長渕はビクターと契約し本作でデビューする事となった。レコーディング時にはアレンジはすべて完成しており、長渕は歌入れのみを行っている。歌詞の内容は長渕の実体験であり、失恋を題材とした作品である。
リリース当時は全く話題にならず、活動の維持が困難であると判断した長渕は故郷である九州へと帰郷する事となった。その後次作「巡恋歌」(1978年)を完成させ、東芝EMIから再デビューする事となった。そのような経緯から、本作は公式にリリースされたアルバムには一切収録されていない。 地元である鹿児島の鹿児島市中央公民館にて吉田拓郎のライブを見た長渕は、それまで抱いていたフォークシンガーに対する偏見が無くなり衝撃を受ける事となった[1]。この影響によりギターを手に取った長渕は自身で歌を作り始めるようになる[2]。それはいつしか、吉田の様なフォークシンガーになりたいという夢へと代わり、福岡に位置する後に数々のミュージシャンを輩出した伝説のライブハウス、照和にてステージに上がるようになる[3]。 プロのミュージシャンを目指し始めた長渕は、憧れであった吉田が井上陽水や泉谷しげる、小室等らとともに設立したフォーライフ・レコードに自らの楽曲を送る事を決意する[3]。その際、なるべく良質な音でレコーディングをしようと、福岡のとあるスタジオでレコーディングを開始する[4]。そのスタジオでは、あくまでヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場する予定の者だけ無料でのレコーディングが許可されていた[5]。しかし長渕は、「コンテストは一曲か二曲で決められてしまう。フォークとは一曲、二曲で決められるものではない」とポプコンに対して批判的であった[3]。その為、ポプコンに出場する意思はないが、それを隠しレコーディングの許可を得ていた[4]。 レコーディングは順調に進み、憧れのフォーライフ・レコードに作品を送るが全く返答はなかった[6]。やがてポプコンの時期が近づいて来てしまい、スタジオのスタッフは当然長渕が出場するものとして話を進め、大恩あるスタッフに敬意を表する為にポプコン出場を決意する[6]。ポプコン出場に際して選曲する中で、スタッフがこの「雨の嵐山」を絶賛し、長渕曰く「横道に反れた曲」というように自分の意に反する曲であったが、スタッフの思いを無下に断る事も出来ずにこの曲での出場を決意する[7]。
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