雙葉中学校・高等学校
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雙葉中学校・高等学校

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過去の名称築地語学校
雙葉高等女学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人雙葉学園
校訓徳においては純真に
義務においては堅実に
設立年月日1875年
共学・別学女子校
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC113310100108 (中学校)
D113310100124 (高等学校)
高校コード13516A
所在地102-8470
東京都千代田区六番町14-1
外部リンク雙葉中学校・高等学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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雙葉中学校・高等学校(ふたばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都千代田区六番町に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校高等学校

高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]キリスト教系(カトリック)の女子校である。設置者は、幼きイエス会(英語版)(旧称サン・モール修道会)を母体とする学校法人雙葉学園
概要

1875年(明治8年)、外国人として初めて来日したフランスのサンモール修道会(現:幼きイエス会(英語版))修道女により、築地明石町に「築地語学校」を設立。

1897年(明治30年)、東京の赤坂葵町に語学塾(英語フランス語・西洋作法・西洋技法)を開き、その町名から「雙葉会」と名付けた(後に「あおい会」となる)。これが現在の雙葉学園の校名の由来である。フタバアオイは2枚の葉をつける。それと同じように、西洋女子と日本女子が手を携えてほしい、との願いが込められている。キリスト教を迫害した徳川氏紋章でもあり、感慨深いとも書かれている。

1909年(明治42年)、築地明石町に雙葉高等女学校を設立(初代校長はメール・セン・テレーズ)。翌年、メール・セン・テレーズは私財で現在の四谷の土地を購入し移転するとともに雙葉小学校幼稚園を設立した。

創立以来、カトリックの精神に基づき、自分を含めた一人ひとりを大切にし、個の無限大の可能性を引き出し、人と比べることなく、神より与えられたその人にしか果たせない使命に気づき、その人ならではの人生を歩めるようにする全人教育を行っている。そのため、総じて教員は辛抱強く見守りつつ待つという教育姿勢である。

校訓は、「徳においては純真に 義務においては堅実に」。その主旨は、神と人の前に素直で表裏のないさわやかな品性を備え、やるべきことを誠実にやりぬく強さを持つように。なおこの校訓は国内外の姉妹校ともに共通のものである。

設立の経緯から現在でもフランス語教育は重視され、中学3年で全員がフランス語を週1.5時間学ぶ。高校では、英語またはフランス語を選択履修する(フランス語選択者は例年15人程度)。

幼稚園から40名、小学校から40名、そして中学校から100名が入学し、中高では1学年180名となる。
沿革

雙葉中学校・高等学校の設立の源流は、17世紀半ばのフランスに遡る。当時フランス国内は貧富の差が激しく、宗教戦争などで混乱していた。貧しい家庭の子どもたちは社会の誰からも顧みられておらず、教育も受けずに打ち捨てられていた。ミニム会修道士ニコラ・バレ(英語版)神父はそのことに心を痛め、彼らが神の子の尊厳にふさわしく育つのを助けるため、1662年、無料の小さな学校を始めた。評判を集め、読み書きや手仕事、お祈りなど、のような学校があちこちにできたという。さらに能率を上げるため、いくつかをまとめ、役割分担をし、そこで教師として働く修道女(シスター)たちのためのサンモール修道会(1991年に幼きイエス会(英語版)と名称変更)を2年後に設立した。バレ神父は、後に、「貧しく、うち捨てられた子どもを受ける者は、まさに、イエス・キリストご自身を受けることになる。これこそ、本会の第一の、そして主要な目的である。」と書いた。女教師達が社会の人々の必要に応じてどこにでも出かけて行くことができるようにと、誓いを立てず恒久的な持ち家も持たない、革新的なグループであったという(当時、女子修道院はすべて隠世大修道院であり、誓願を立てた修道女はその敷地の中だけで暮らすことになっていた。)。

1872年明治5年)、「キリシタン禁制の解かれる希望が見えてきた。今すぐ宣教女に来てほしい」というベルナール・プティジャン司教からの要請に応え、メール・マチルド他4名のシスターが修道女としては初めて横浜に来日した。当時横浜には捨て子や孤児が多く、山手居留地58番に外国人子女教育および貧困孤児養育事業を開始。山手居留地83番に「横浜修道院」、また「仁慈堂」(じんじどう)と名付けられた孤児院を開設した。「仁慈堂」は350人もの子供と80人の乳幼児を収容。1875年(明治8年)正式な孤児院として認可、1900年(明治33年)山手88番に一般の子女を対象にした横浜紅蘭女学校開校、現在の横浜雙葉の前身となる。孤児院は1902年普通教育を授ける菫(すみれ)女学校となったが、関東大震災で横浜紅蘭女学校と共に壊滅。菫女学校は東京に移り、太平洋戦争開戦によって歴史を閉じることになる。

東京においては、1875年(明治8年)築地明石町に語学学校を設立、現在の雙葉学園の前身となる。1909年(明治42年)、築地明石町に雙葉高等女学校を設立(初代校長はメール・セン・テレーズ)。翌年、現在の四谷の地に移転するとともに雙葉小学校幼稚園を設立した。
年表

1872年明治05年) - ベルナール・プティジャン司教の招きにより、サンモール修道会(幼きイエス会)の会員5名がフランスより来日、布教と教育慈善活動を横浜で開始

1875年(明治08年) - 東京に築地語学校を開校し、教育と共に身寄りの無い老人や孤児の世話などのボランティア活動も開始。この語学校が雙葉学園の前身となった。

1909年(明治42年) - 初代校長メール・セン・テレースが私財で現在の地を購入し、ルネサンス建築の優雅な木造2階建ての校舎を建造。雙葉高等女学校創立。

1910年(明治43年) - 雙葉女子尋常小学校、同附属幼稚園設立

1945年昭和20年) - 第二次世界大戦の空襲により、全校舎完全焼失。翌年木造の仮校舎完成。

1947年(昭和22年) - 学制改革により雙葉中学校設立

1948年(昭和23年) - 雙葉高等学校設立

1952年(昭和27年) - 本建築により鉄筋4階建て校舎完成

1999年平成11年) - 校舎全面改築に入り、2000年(平成12年)12月に地下1階・地上7階の本校舎と講堂が完成

通学手段.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}

鉄道:中央線総武線丸ノ内線南北線 四ツ谷駅から徒歩4分以内。


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