集史
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1206年初春のチンギス・カンの即位(『集史』パリ本)

『集史』(しゅうし、ペルシア語: ????????????? ‎ J?mi` al-Tav?r?kh、アラビア語: ???? ????????‎ J?mi` al-Taw?r?kh)は、イル・ハン国の第7代君主ガザン・ハンの勅令(ヤルリク)によってその宰相(ワズィール waz?r)であったラシードゥッディーンを中心に編纂された歴史書である。世界最初の世界史の書として名高い。[1]
成立

『集史』の編纂はイル・ハン国の宰相であったラシードゥッディーンが第7代君主ガザン・ハンの下命により、『モンゴル史』(ガザンの祝福された歴史 T?r?kh-i Mub?rak-i Gh?z?n?)を編纂したことに始まる。『モンゴル史』の完成(1307年)後、第8代君主オルジェイトゥ・スルターンの下命を受けたラシードはさらに世界史と地理誌を『モンゴル史』と合編し、『集史』(J?mi` al-Taw?r?kh)を完成させ、1310/11年に献呈した。成立時点における『集史』の構成は、第一巻「モンゴル史」、第二巻「同時代史」および「世界史」、第三巻「地理誌」の全三巻構成であった。その後も増補が行われ、さらに系図集が編纂され、「地理誌」を第四巻に繰り下げ、「系図集」を第三巻に組み込んだ全四巻構成となった。ただし、現存する『集史』諸写本の「目次(fihrist)」はことごとく三巻構成となっており、四巻本『集史』の実在は確認されていない。『集史』各巻のうち現存しているのは第一巻「モンゴル史」と第二巻のうちの「世界史」のみである。ただし、第二巻のうちの「同時代史」はカーシャーニー編『オルジェイトゥ史』(T?r?kh-i ?lj?yt?)がその増訂版であると考えられる。また、「系図集」はラシード未監修の増補版が『五族譜』(Shu'ab-i panjg?na)であると考えられる。なお、「地理誌」は散逸した。

[2]
構成モンゴル族の始祖アラン・ゴアとその息子たち 後世の杜撰な修復が加えられているため、人物の顔立ちが他の挿絵と大分異なっている(『集史』パリ本)
第一巻(Mujallad-i Awwal)(モンゴル史)

上述したように『集史』は二段階の編纂を経ているが、第1次編纂の折に完成したのが『ガザンの祝福されたる歴史(T?r?kh-i Mub?rak-i Gh?z?n?)』であり、それが改編されて『集史』第一巻「モンゴル史」となる。
序文(Muqaddima-yi Mujallad-i Awwal)

『祝福されたるガザンの歴史』が編纂された理由
第一部(B?b-i Awwal)(テュルク・モンゴル諸部族史)

モンゴル帝国に征服あるいは帰順してモンゴル帝国を構成するテュルク系・モンゴル系の諸部族の来歴とその首長(アミールノヤン)たちの情報を述べた部族誌で、各部族はチンギス・カン家が属すキヤト氏族など、モンゴル部族連合を中心に族祖伝承や係累に基づいて4種類に分類している。

第1章(Fa?l-i Awwal) - オグズの子孫から生じた部族と、オグズの親族から生じた部族も加えた二十四部族(オグズ系諸部族)

第2章(Fa?l-i Duwum) - 現在はモンゴルと呼ばれているが、以前はそれぞれ別の名を持ち、独立した首長を持っていたテュルク部族(テュルク諸部族)

第3章(Fa?l-i Suwum) - 以前は独立した首長を持っていたが、第二のテュルク部族とも第四のモンゴル部族ともつながりはなく、しかし外観や言語は彼らと近いテュルク部族

第4章(Fa?l-i Chah?rum) - 久しい前から通称はモンゴルであった部族、これから出た多くの部族(モンゴル諸部族)

第1節(qism-i awwal) - ドルルキン諸分族(コンギラト、コルラス、イキレス、イルジキン、ウリヤンキトなど)

第2節(qism-i duwum) - ニルン諸分族(アラン・コアの子孫 チンギス・カンと系譜関係にあるモンゴル系の諸氏族)


第二部(B?b-i Duwwum)(チンギス・カン一門の歴史)

チンギス・カン家の歴史で、チンギス・カンの祖先とその子孫について各々の本紀(D?st?n)が設けられている。また本紀は基本的に以下のような三部構成になっている。

各帝王本紀(D?st?n)

第1節(qism-i awwal) - その人物の妻や妃・息子たちとその系譜・系図・肖像についての説明

第2節(qism-i duwum) - 本文

第3節(qism-i sawum) - その人物や逸話や金言について

本紀のそれぞれの第2節・第3節には各々段(hik?yat)が設けられ、治世中などに起きた出来事について語られる。また、主要な段にはマー・ワラー・アンナフルイラン地域、ミスルなど同じ時期の各地の支配者たちの動向についての情報が別項を設けて書かれている。

第1章(Fa?l-i Awwal) - チンギス・カン祖先諸本紀

序文

ドブン・バヤン(D?b?n B?y?n)紀

アラン・ゴア(Al?n Q??)紀

ボドンチャル(B?d?njar)紀(ボドンチャル・ムンカク)

ドゥトゥム・マナン(D?t?m Manan)紀(メネン・トドン)

カイド・ハン(Q??d? kh?n)紀(カイドゥ・カン

バイ・サンクル(B?? Sankq?r)紀(バイシンコル・ドクシン)

トンバナ・ハン(T?mbana kh?n)紀(トンビナイ・セチェン

カブル・ハン(Qabul kh?n)紀(カブル・カン

バルタン・バハドゥル(Bart?n Bah?dur)紀(バルタン・バアトル

イスカイ・バハドゥル(Yis?k?? Bah?dur)紀(イェスゲイ・バアトル



第2章(Fa?l-i Awwal) - チンギス・カン裔諸本紀

チンギス・ハン紀(チンギス・カン

オゴデイ・カアン

ジョチ・ハン紀(ジョチ

チャガタイ・ハン紀(チャガタイ

トルイ・ハン紀(トルイ

グユク・ハン紀(グユク・カン

モンケ・カアン

クビライ・カアン

テムル・カアン

フレグ・ハン

アバカ・ハン

アフマド・ハン

アルグン・ハン

ゲイハトゥ・ハン


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