雅州(がしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から清代にかけて、現在の四川省雅安市一帯に設置された。 605年(大業元年)、隋により雅州が置かれた[1]。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、雅州は臨?郡と改称され、下部に9県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 隋代の行政区画変遷
隋代
区分開皇元年区分大業3年
州?州黎州郡臨?郡
大業元年、雅州に統合される
郡蒙山郡
618年(武徳元年)、唐により臨?郡は雅州と改められた。742年(天宝元年)、雅州は盧山郡と改称された。758年(乾元元年)、盧山郡は雅州の称にもどされた。雅州は剣南道
に属し、厳道・盧山・名山・百丈・栄経の5県を管轄した[3]。宋のとき、雅州は成都府路
に属し、厳道・盧山・名山・百丈・栄経の5県と44羈縻州を管轄した[4]。1258年、モンゴル帝国が雅州を攻撃すると、石泉守将の趙順が雅州の州城ごとモンゴル帝国に降伏した。元のとき、雅州は陝西等処行中書省に属し、厳道・名山・百丈・栄経・盧山の5県を管轄した[5]。 明のとき、雅州直隷州は四川省に属し、名山・栄経・蘆山の3県を管轄した[6]。 1729年(雍正7年)、清により雅州直隷州は雅州府に昇格した。雅州府は四川省に属し、雅安・名山・栄経・蘆山・清渓・天全州・董卜韓胡宣慰司の1州5県1土司を管轄した[7]。 1913年、中華民国により雅州府は廃止された。
明代以降
脚注^ 『隋書』では「旧置雅州」と隋代以前に雅州が存在したと記載されるが、『隋書地理志考証(楊考)』や『元和郡県志』はその記述を誤りとしている。本記事では後二者の説を採用する
^ 『隋書』地理志上
^ 『旧唐書』地理志四
^ 『宋史』地理志五
^ 『元史』地理志三
^ 『明史』地理志四
^ 『清史稿』地理志十六
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