隻眼
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出典検索?: "隻眼" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年10月)

隻眼(せきがん)もしくは独眼(どくがん)は、片側のそのものや視力失った身体障害の状態をいう[1][2]

病気(腫瘍など)の内因の他、事故戦闘中の負傷など外因、奇形による先天的な要因の場合もある。外因により視力を失った際、多くは反対側の眼にも失明を及ぼすため、片目を喪失した者のうちで隻眼となるのは多数ではない。目が失われたために義眼を入れたり、眼帯などで隠し、自らの威厳の誇示を兼ねることがある。「隻」とは「対になっている物の片方」を数えるときに用いる助数詞である。
現実の隻眼ミジンコを背面から。頭頂部に1つの眼を持つ。

現実の隻眼の人物は、正常な位置にある2眼のうち1眼が失明しているケースがほとんどである。片目失明の原因は、先天性であることは少なく、病気や外傷など後天性の原因が主である。他に、両目失明ののち片目だけ治療(角膜移植など)するケースもある。

神話上のサイクロプスなどのような、顔の中心線上に一つの目を持つケースもなくはないが、単眼症という重度の先天障害であり、死産かさもなくば生後まもなく死亡する。

一つ目の動物は、大型動物では奇形以外では見られないが、ミジンコなど一部のプランクトンが、中心線上に1つの眼を持つ。ただしこれらは肉眼では確認困難なため、神話伝承とは無関係と思われる。なおミジンコは、大きな複眼の下にごく小さな単眼を持つため、厳密には眼が上下に2つあることになる。
身体障害として

日本障害者認定制度では、片目失明というだけでは視覚障害者認定はされない。ただし実際には、他眼(見える方の目)にも障害があること、他眼に過度の負担がかかることが多く、その場合はそれに応じた認定がされる。最も軽い6級の認定条件は、一眼の視力矯正視力。以下も同じ)が0.02以下、他眼の視力が0.6以下で、両眼の視力の和が0.2以上(0.2以下だと5級になる)である。6級より上の認定条件は全て、両眼の視力の和か両眼視野が基準になっている。

運転免許証の取得条件は、普通自動車については健常者とほとんど違いがなく、片目の視力が0.3未満なら、他眼の視力が0.7以上(これは健常者と同じ)で、視野が150度以上が必要となる。ただし、大型第二種等は取得できない。
義眼など詳細は「義眼」を参照

眼球を摘出したか眼球が萎縮した場合は、義眼が使われることが多い。視力を回復する機能はなく、あくまで萎縮した眼球、眼窩の保護や美容目的である。まぶたなどの周辺組織も失われたときは、義眼床手術も必要になる。

義眼を入れても完全に自然な外観にすることは難しいため、義眼を入れた上でさらに眼帯サングラスガーゼなどを併用する人も多い。眼帯などは、義眼を使っていなくても美容上問題のある場合(義眼が必要だが入れていない場合、あるいは、眼球は外見上正常だが周辺組織に傷がある場合、など)にも使われる。
隻眼の著名人ヤン・ジシュカの肖像画眼帯をしたモーシェ・ダヤン(右)。

ここでは、なんらかの著名性または重要性があると思われる(日本でのみ有名、なども含む)隻眼の著名人を列挙する。隻眼といわれているだけで実際にはそうではなかった人物や、隻眼でなかった可能性のある人物も含む。

なお、漢字文化圏において、隻眼と関連性の高い「眇(すがめ)」という語があるが、「片眼が極端に小さいこと」を意味するほか、斜視のように隻眼に該当しない別の語義も複数あるため、この語が史書等に記されていることのみで事実認定されているわけではなく、事実認定されるものではない。「Category:隻眼の人物」も参照

ピリッポス2世(前382年 - 前336年) - アルゲアデス朝マケドニアの国王で、アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の父。

アンティゴノス1世(前382年 - 前301年) - アルゲアデス朝マケドニアの将軍で、アンティゴノス朝マケドニアの創始者。

アンティゲネス(? - 前316年) - アルゲアデス朝マケドニアの将軍。ペリントス包囲戦(紀元前340年)で片眼を失った。

ハンニバル(前247年 - 前183年) - カルタゴの将軍で、第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)の英雄。

左慈(生没年不詳) - 後漢代末期・三国時代中国方士。色濃く伝説に彩られ、仙人として描かれる人物だけに、真偽のほどは疑わしい。

夏侯惇(? - 220年) - 後漢代末期・三国時代の中国の曹魏武将政治家王沈の『魏書』によれば、敵の流れ矢が左眼に当たって負傷したことから、同族・同僚で同じく有力武将であった夏侯淵と区別できる「盲夏侯」というあだ名で呼ばれるようになったが、夏侯惇はこれを嫌がり、鏡で自分の顔を見るたびに怒って鏡を投げ捨てたという。なお、射抜かれた自らの片眼を食べたという話があるが、歴史小説三国志演義』による創作である。

丁儀(? - 220年) - 後漢代末期の中国の曹魏の政治家。眇(すがめ)であったという。

苻生(335年? - 357年) - 五胡十六国時代の中国の前秦皇帝。眇であったため、不吉な鬼子としてとりわけ祖父に忌み嫌われたという。

殷仲堪(? - 399年) - 五胡十六国時代の中国の東晋の武将。度量が広く、部下から眇のことをあてこすられても許したという。政治家として優れていたが軍事の才はなく、桓玄を討とうとしたが、連戦連敗を喫した挙句に自殺した。

蕭繹(508年 - 555年) - 南北朝時代の中国の南朝梁の皇帝。幼少時に病気で片目を失明した。

李克用(856年 - 908年) - 代末期中国の軍閥指導者で、後唐の始祖。眇の武将であったため、「独眼竜」と呼ばれた。

弓裔(857年? - 918年) - 朝鮮史後三国時代後高句麗の王。新羅の王子とされ、幼いときに事故で片目を喪う。僧となり、弥勒の世の建設をとなえ信賞必罰の公平さで勢力を伸ばすが、暴君化して、王建に倒される。

レーモン・ド・サンジル(1052年頃- 1105年)- 第1回十字軍の指導者の一人。トゥールーズおよびプロヴァンス辺境伯


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