隰州
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山西省の隰州の位置(1820年)

隰州(しつしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の山西省臨汾市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代

488年太和12年)、北魏により設置された汾州を前身とする。
隋代

隋初には、汾州は3郡5県を管轄した。585年開皇5年)、汾州は隰州と改称された。607年大業3年)、郡制施行に伴い隰州は竜泉郡と改称され、下部に5県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分開皇元年区分大業3年
州汾州南汾州郡竜泉郡
郡竜泉郡吐京郡臨河郡伍城郡県隰川県 石楼県 永和県
楼山県 蒲県 垣県
長寿県
平昌県吐京県臨河県
帰化県蒲子県

唐代

618年武徳元年)、により竜泉郡は隰州と改められた。742年天宝元年)、隰州は大寧郡と改称された。758年乾元元年)、大寧郡は隰州の称にもどされた。隰州は河東道に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和・温泉の6県を管轄した[2]
宋代

のとき、隰州は河東路に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和・温泉の6県を管轄した[3]

のとき、隰州は河東南路に属し、隰川・?城・蒲・大寧・石楼・永和の6県と馬門関・永和関・永寧関・上平関の4関を管轄した[4]
元代

のとき、隰州は晋寧路に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和の5県を管轄した[5]
明代以降

のとき、隰州は平陽府に属し、大寧・永和の2県を管轄した[6]

1724年雍正2年)、により隰州は直隷州に昇格した。隰州直隷州は山西省に属し、大寧・蒲・永和の3県を管轄した[7]

1912年中華民国により隰州直隷州は廃止され、隰県と改められた。
脚注^隋書』地理志中
^旧唐書』地理志二
^宋史』地理志二
^金史』地理志下
^元史』地理志一
^明史』地理志二
^清史稿』地理志七










隋朝の行政区分

 606年大業2年)以前(州制)

雍州地区

雍州

同州

岐州



寧州

敷州

綏州

延州

慶州

原州

夏州

塩州

霊州

勝州

豊州

秦州

渭州

蘭州

河州

廓州

?州

涼州

甘州

瓜州

梁州地区

梁州

金州

遷州

巴州

通州

渠州

成州

?州

宕州

武州

扶州

鳳州

興州

利州

竜州

会州


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