隠岐_(海防艦)
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隠岐
終末公試のため浦賀を出港する隠岐
1943年3月25日東京湾
基本情報
建造所浦賀船渠
運用者 大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
中華民国海軍
中国人民解放軍海軍
艦種海防艦(日本海軍)
特別輸送艦(第二復員省/復員庁)
巡邏艦/布雷艇(中国人民解放軍海軍)
級名占守型海防艦
建造費5,112,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画マル急計画
起工1942年2月27日
進水1942年10月20日
竣工1943年3月28日
除籍1945年11月20日(日本海軍)
1947年8月29日(復員庁)
1982年(中国人民解放軍海軍)
要目(竣工時)
基準排水量870トン
全長77.70m
最大幅9.10m
吃水3.05m
主機艦本式22号10型ディーゼルx2基
推進2軸
出力4,200hp
速力19.7ノット
燃料重油200トン
航続距離16ノットで8,000海里
乗員定員146名[注 1]
兵装三年式45口径12センチ単装平射砲x3基
25mm連装機銃x2基
九四式爆雷投射機x1基
爆雷x36個
最終時[1]
三年式45口径12センチ単装平射砲x3基
25mm連装機銃x5基、単装x10基
13mm単装機銃x3基
三式爆雷投射機x4基
搭載艇短艇x4隻
ソナー九三式水中聴音機x1基
九三式水中探信儀x1基
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隠岐(おき)は、日本海軍海防艦[2]。普遍的には択捉型海防艦の4番艦とされているが[2]海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の8番艦。艦名は島根県にある隠岐島にちなむ。
概要

海防艦隠岐(おき)は、日本海軍が浦賀船渠で建造した甲型海防艦1943年(昭和18年)3月28日に竣工すると第二海上護衛隊に編入され[2]、横須賀?トラック泊地間の船団護衛任務に従事した[3]1944年(昭和19年)7月上旬のサイパン島玉砕により第二海上護衛隊が解隊されると、横須賀鎮守府部隊に所属して小笠原諸島方面の船団護衛任務に従事した[3]。11月21日、米潜水艦の雷撃をうけて損傷し、艦前部を喪失する[4]1945年(昭和20年)3月まで横須賀で修理をおこなった[3]。3月5日、第一護衛艦隊の第103戦隊に編入され[2]、黄海?朝鮮半島方面で護衛任務に従事した[3]太平洋戦争を生き延びて、戦後は復員輸送に従事した[3]賠償艦として中華民国に引き渡されて「固安」と改名[5]国共内戦中国人民解放軍鹵獲され「長白」と再改名され、中国人民解放軍海軍に所属して1982年(昭和57年)まで現役だった[6]
艦歴
計画-竣工

マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の4番艦、仮称艦名第313号艦として計画。1942年2月27日浦賀船渠で建造番号512番船として起工。8月20日、「隠岐」と命名。本籍を佐世保鎮守府と仮定され、占守型海防艦の8番艦に定められる。10月20日、進水。

1943年(昭和18年)3月28日、隠岐は竣工した[3]。本籍を佐世保鎮守府に定められる[3]第四艦隊隷下の第二海上護衛隊に編入される[3]。軍隊区分においては内南洋方面部隊護衛部隊に配される。
1943年-1944年3月 トラック方面護衛

1943年(昭和18年)4月20日、トラック行き船団を護衛し、横須賀を出発した[3]。30日、トラック泊地に到着する[3]。以後、1944年3月までトラック-横須賀間の護衛に従事。

8月27日、4827船団(海軍徴傭船田子ノ浦丸、同日威丸[注 2])を護衛しトラック発。9月3日夜、三宅島南東60km .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度43分 東経140度00分 / 北緯33.717度 東経140.000度 / 33.717; 140.000の地点で、田子ノ浦丸がアメリカ潜水艦(ポラック)の雷撃により沈没する[7]。隠岐は田子ノ浦丸の生存者を収容した。9月4日、横須賀着。以降の9月中の行動は不明。

11月2日、駆逐艦(第6駆逐隊)とともに4102船団(特設運送船衣笠丸)を護衛しトラック発。5日、海軍徴傭船日吉丸が船団に合流したところで船団を2つに分かち、隠岐は衣笠丸を、雷は日吉丸をそれぞれ護衛し各々横須賀へ向かう。8日、横須賀着。14日、3115船団(3隻[注 3]+陽炎型駆逐艦雪風〈第16駆逐隊〉[注 4])を護衛し横須賀を出発する[9]。雪風は15日に館山から合流したとの史料もある[10]。航海中の11月15日、日本海軍は海上護衛総司令部(司令長官及川古志郎大将)を新編する[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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